三国志もしくは演義において諸葛亮は有名ですが
兄の諸葛瑾の力量はどうなんでしょうか?優秀な人だったのでしょうか?
性格は温厚で大らかな人物で、政治力に優れた人物ですね。
呉には孫策の代から仕えていましたが、三国志演義ではそれほど重要な人物であるように書かれていません。しかし、孫権の代では文武にわたり数々の要職に就いていました。文官職では長史や、呂蒙の死後代わりに南郡太守に任命されていましたし、最後は豫州牧にもなっていました。武官職では中司馬、绥南将軍、左将軍、大将軍など歴任していました。
これだけ要職を歴任する人物であるからかなり優れた能力の持ち主と思いきや、軍事面では対魏戦に参加するも負け戦ばかり、文官職でもこれといった成績を上げていません。強いて言えば、諸葛亮の兄ということで蜀への使者の役割が多いかと思います。
でも、死ぬまで呉の政治中枢にいたことは事実で、政治的能力(官僚としての保身能力)はかなり高いはずです。
呉の大将軍です 無論有能です
力量っつうのはよく分かりませんが、目立った戦功はなくとも行軍して失敗したことはなかったように思います。
それより彼の優れている部分はその人間性です。酒に酔った、または激昂した孫権を宥めすかすことの出来る数少ない人物。諸葛瑾伝を見るに、彼は孫権と部下との間が円滑に運べるような、いわば潤滑油のような人物だったんでしょう。激しやすい孫権の性格を考え強い諫言は避け、かと言って伝えるべきを伝えないということはしない。部下との軋轢もその人柄で上手く取り成すことができる。張昭や顧雍ら派閥の代表格とはまた違ったポジションで孫権に意見できたんでしょう。孫権に取っては必要不可欠な存在だったはずです。
ちなみに諸葛瑾が呉に仕えたのは孫権の代になってからです。諸葛瑾伝の最初に書いてありますね。
諸葛謹は温厚で謹直な性格でした。諸葛亮と比べるとあまり実力はありませんが、孫権にはとても信用されていたそうです。
戦功はあまりありませんが守備には優れていました。
0 件のコメント:
コメントを投稿