2012年3月29日木曜日

三国志に詳しい方教えてください。 今の上海 南京 北京は三国志でいうと何処の国...

三国志に詳しい方教えてください。

今の上海 南京 北京は三国志でいうと何処の国になるのですか?

それとも当時の都は、全く違う場所ですか?







まず、北京、上海に関しては三国時代(後漢のときも)に都がおかれた場所ではありません。

後漢は洛陽。

魏も洛陽を首都とした。(許昌、鄴も重要拠点)

洛陽は唐・五代ごろまでは中国でも中心的都市だったが、次第に衰退した。

現代では中規模程度の都市。

蜀は成都。この都市は古代から現代まで四川の中心都市。

呉は建業と武昌。

この建業が現在の南京の原型となった。

後漢までは揚州丹陽郡秣陵県というマイナーな都市。

孫権がこの地に石頭城を築いて建業と改名し首都に発展させた。

それ以後も江南の中心都市として現在に至る。

後漢から三国にかけての北京は幽州広陽郡薊県というこの地域の一応中心都市。

劉備の出身地である涿郡の近くであるが、三国時代においては出番のない辺境の地であった。

最終的に魏が領有した。

上海は揚州呉郡に含まれていたようであるが、寒村程度であったと思われる。

それよりも現在の上海市の大半は当時は海中であったと思われる。

海岸線が三国時代当時よりも前進しているため。

一応、呉が領有していたことになる。








南京は別として、上海あたりはたかだかこの百年くらいの歴史しかない都市なんですよ。



中国史の表舞台はほとんど、揚子江以北です。

今の香港あたりなんて、むかしは「南蛮」の地域でした。







上海は呉の一部でしょう。



南京は。呉の(途中からの)首都となった建業が、現在の南京の元(いしずえ)となっています。



北京周辺は、当初は公孫サン(玉偏に賛)の領地で、続いて袁紹の領地となり、魏の曹操の領地となりました。いずれにせよ、北京周辺は田舎で、辺境の地方都市に過ぎなかったようです。



なお。もう少し東に行くと、遼東半島の近辺は公孫(上の公孫サンとは別人、親戚というわけでもなさそう)一族の国「燕」があって、朝鮮半島や日本列島の国々と深い交流を持っていたことが知られています。

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