2012年3月23日金曜日

三国志で。。。。

三国志で。。。。

劉備元徳は本当に漢室の一族だったんですか? 蜀は漢王朝再興を考えていたんですか?



魏は悪い国というイメージ漫画で強調されてる気が。。。。詳しい人教えてください。







劉備は漢室の一族ですよ!



劉備はそもそも中山靖王劉勝の末裔ということはしっていますよね?



そもそも中山靖王劉勝は中山靖王なだけで、皇帝ではなかったんですよ!!



そして皇帝の一族で皇帝の跡継ぎの天使から皇族という名前にかわります!



だから中山靖王劉勝の末裔の劉備は皇帝の一族じゃなくて王族の末裔なんです!



なんですが・・・



中山靖王劉勝の父は皇帝の一族で父から中山靖王に任命されていただけなんです・・・



だから皇帝の血筋も引いているんです!



だかた劉備は皇帝の血と王の血両方引いています!



ついでに、魏の曹操は皇帝にはならずに死んじゃいました!



だから魏の初代皇帝は曹否(中国ではこう書きます)なんです!



そして曹操や曹否は先祖の漢の宰相曹参の血筋を引いているんです!



なんですが、漢の宰相曹参は反秦連合軍などに参加したりして戦上手など偉大なる結果を残した英雄だからそういわれているだけで、実際は皇帝や王の血は引いていないんです!



そもそも皇帝は一族しかなれないから曹操は一族じゃありません!



だから皇帝の一族でもないのに天使になろうとしている逆賊!



だからこの逆賊を成敗して漢朝の復興をしようとおもっているのです!



だから悪物なんです!



曹否もそういうことなんです!



曹否は曹操よりくらいの高いしかも天下を操る皇帝になったから国賊!



そして劉備と孫権が連合を結んで魏を討伐するんです!(北伐)



だから魏は悪者なんです!



天下を取る野心から生まれたものでしょう!



だいたい劉備や孫権は天下を取る野心ないんです!



劉備や孫権は正義をつくした英雄なんです!








簡単にいうと「蜀」を主人公にすると「魏」が悪者



「魏」を主人公にすると「蜀」が悪くなります



マンガで言えば



「三国志」(横山光輝)







「蒼天航路」(イ・ハギン)



を読み比べるとよく分かります







劉備か劉元徳と記載します。

漢室の一族かどうかは5分5分だと思われます。蜀は漢王朝再興を考えていたと思われます。

魏は悪い国というイメージがありますが、それは日本のみであり、本場の中国では曹操の方が人気があります。







可能性は0ではないのかもしれませんが、限りなく低いかと。まず正史ではその人物に箔をつけるために「この人の祖先はこんな身分の人でしたよ」ってことを最初に書きます。曹操然り袁紹然り。ですが、劉備は「皇族の末裔」という書き方をしているものの、祖父、父とも小役人。祖先とされる劉勝は100人以上子孫がいるのではっきりしたことは分かりません。蜀書も深くは追っていません。劉備を持ち上げて書いてる蜀書でそんな書き方ってことは、どうもよく分からんけど本人はそう言ってたって程度でしょう。孫堅も孫子の末裔を名乗ってますが、「恐らく孫氏の末裔なのだろう」といういかにも嘘臭い書き方。まぁ流石に皇帝にまでなった人物が実はヤクザだの不良だのとは言えないからそう書いてみたってのが真相かと思います。



劉備本人が漢再興を考えていたかは怪しいですが、当時の知識人はそれが当然だと考えていたようです。多くの人材を集めるには手っ取り早いスローガンだったのでしょう。その手法を取り入れたのは劉備というより孔明ですし。孫権も曹操も表向きは漢を支えるということを公言しています。保守派の反乱を抑える為にもそう公言しないと国がまとまらないから、とりあえずそう言っとけってところではないでしょうか。



魏が悪く書かれているのは物語の三国志のほうで、実際は蜀も呉も魏の真似をしながら国を統治しています。人口も多く優れた人間が数多くいましたし、曹操自身が素晴らしい政治家でした。中原の争いが激しかった頃は南に逃げる人も多かったようですが、曹操が平定して治安が安定すると今度は北にどんどん人が戻っていっています。税金が呉や蜀に比べだいぶ安かったようです。悪役と見られがちなのは曹操が大量に人間を殺したことが何度かあったから、曹丕が後漢の帝位を奪ったからでしょう。どの国が悪役とかいう先入観を持たずに演義なり正史なりを読んでみると違った発見が出来て面白いと思いますよ。







劉備は、前漢の中山靖王・劉勝(漢景帝の子)の子孫です。漢王朝が正式に認めた皇室の一員です。但し、当時の献帝と同宗というだけで直系の親戚ではありません。一応遠い親戚という形で認定していました。

劉備が益州入りした後、魏が漢王朝を取って代わって成立し、漢が滅んだため(献帝が死んだという誤報もあったため)同じ宗室の劉備が即位した、という経緯になったわけです。また、蜀の正式の国名は漢のままです。これは以前の漢王朝と区別するために蜀漢と呼ばれ、これがさらに略され「蜀」となりました。

劉備がこの国名にしたのは、漢王朝はまだ滅んでいない意気込みがあると思いますので、本気で漢の再興や中原への反攻を考えたと思います。

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