三国志で魏が正統王朝とされている理由は何ですか?
魏は前王朝の漢王朝の皇帝の献帝から正式な儀式を行い引き継いだからですね。
禅譲は出来レースだったようですがそれはさて置き、正式に魏が引き継いだので正統な王朝でしょう。
蜀の劉備や呉の孫権は漢の献帝と儀式を行い引き継いでいませんからね。
魏の曹ヒは正式に漢帝より禅譲されました、曹操も皇帝の下丞相という位でした。
演義では皇帝を操り人形にしたり無理やり禅譲させたように描いてますが・・・
そういわざるを得ない世情だったのでしょう。
後世、「蜀漢正統論」なるものが持ち出されるや
時代の追い風を受け、この論は次第に強まり
すっかり蜀を正統と見る論も深く浸透してしまいました。
現代の歴史教科書の歴史年表などを見ると
あの時代は「三国時代」と明記されていることが多く
正統論決着の不鮮明さもあり、便宜的に
三国相並ぶと見ているようですね。
魏は漢の皇帝から正式に禅譲されました。
蜀と呉は勝手に独立して皇帝を名乗りました。
晋王朝が魏の皇帝から帝位を譲られたからです。
晋王朝は、魏が正統だったことにしないと、晋王朝自身が正統であることを証明できません。
だから魏が正統だ、という歴史書をわざわざ蜀出身の人に書かせました。もしかしたら「蜀が正統だと言えなくも無い」という負い目があったのかもしれません。
また、その後の時代も、「魏王朝が漢の皇帝から帝位を譲られたから正統」というシステムを使って自分の王朝を正統ということにした王朝がいくつもあります。それらの王朝も、「漢から譲られた魏は正統」と言わないと自分の王朝が不正だということになってしまうので、魏が正統であることを公式見解としてきました。
魏が三国の中でもっとも強かったから、というのはちょっと違うと思います。仮に魏が最弱でも、魏から帝位を譲らせた晋王朝が最後に統一して歴史書を書かせれば、魏が正統だと言うことになったでしょう。
三国志が書かれたのは晋の時代です。
晋国が書かせた歴史書なので、三国志の中では晋国は正統王朝です。
晋国に王朝を譲ったのは魏です。
そういった所からだと思います。
三国時代の中で最も強大な国が魏で、天下三分とはいえ実際は魏の領土が中原の三分の二を占めて人口と兵力も圧倒的優勢であったから。それに、統一を前にして晋への王朝交代劇が見られたが、実質は魏の国力が三国統一を可能にした事も理由の一つだと思います。
漢の献帝から皇位をゆずっていただきましたから。
0 件のコメント:
コメントを投稿