三国志の質問です。
呉の孫権は背が高く、蒼い目をした「碧眼児」として有名ですが、孫策と同じ孫堅の実子ですよね。
生母が異民族だったという事なのでしょうか。
「蒼い目」というのは三国志演義での話ですが、正史には「紫髯(あかひげ)」とありますんで、どっちにしろ一風変わった風貌ではあったのかもしれません。
生母の呉夫人は豪族の娘であったようなんで、どこの馬とも知れん異民族の血が混ざってる可能性は低いと思います。むしろその可能性が高いのは孫堅のほうです。孫堅の家は代々役人をしていたと孫堅伝にはありますが、孫堅の母が孫堅が生まれたときの吉兆を話した相手が「近所のおばちゃん」なんてローカル臭漂う記述があるあたり、あんまり良い家柄だったとは思えません。父の名前すら不明ですし、恐らく下級役人の家だったんでしょう。
そして江東は山越という異民族が至る所に闊歩していた相当な蛮地です(ただ山越は越族の末裔とはいえ、流民となった漢民族も相当混じっていたとか)。そして交州、ベトナムにも通じる土地なんで、漢民族以外の人物と接することも多かったと思います。
出自が平民とほぼ変わらんと思われる孫堅、そして江東という土地柄。真偽はさておき、孫堅の祖先が混血の可能性は無きにしも非ずだと思います。
歴史として見た『三國志』での孫権・孫堅の混血の可能性の考察はhidaka1125さんのご高見を全面的に支持します。
『三国志演義』における孫権の容貌に関しては、ひとかどの人物、特に皇帝にまでなるほどの君子はみな他者にはない特別な特徴を持つもの…という当時の常識によるフィクション、と言ってしまっていいと思います。
当時の、というのは『三国志演義』の物語が形成され成立していった元末明初のことです。
同様に劉備も膝まで届く長い腕、大きな耳にその耳を見られる大きな目、物腰は穏やかで口数は少ない…という、化け物じみた描写をされています。これも当時の君子の理想像とされた典型的な容貌です。
ですので、実在の孫権が碧い眼だったり紫(あか)のヒゲだったりした訳ではないと個人的には考えます。
生母は呉夫人。れっきとした中国人です。また、親戚一同もです。父や兄とは、似ても似つかない性格が演義では風貌となって現れたんでしょう。
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