三国志は最後はどうなりますか?
234年、諸葛亮が五丈原において陣没し一旦北伐は中断される。しかし蜀は姜維が政権担当となると北伐を繰り返すようになり国力が衰退していく。
魏では、司馬一族がどんどん権勢を増し曹家の皇帝は傀儡となっていた。
251年司馬懿が255年にはその長男司馬師が死去した。
263年、二路から攻め寄せた魏軍の前に蜀はもろくも潰え去り、降伏した。
264年、姜維の策によって旧蜀勢力と魏軍の一部が反乱を目論んで大いに蜀は混乱したが、姜維や多くの旧蜀の支配階層人々と魏の指令官たちが殺される結果に終わり蜀は完全に息の根を止められた。
旧蜀の皇帝の劉禅は生き残り、魏に送られて安楽公とされて余生を過ごした。
265年、曹氏に代わって皇帝に付こうとしていた司馬昭(司馬懿次男)が急死したが、その子司馬炎は皇帝曹奐から帝位を譲らせて「晋」の皇帝となった。
少し時代は戻るが、241年、呉では期待されていた皇太子の孫登が若死してしまう。
元々酒乱の気があった孫権は以降、次第におかしくなり始めた。
嫡男が居なくなった為に呉では泥沼の孫権の跡継ぎ争いが起こり、これに対し孫権は功臣を粛清してでも我を通すようになってしまい、結局多くの血が流れ陸遜など多くの功臣が死んでしまった。
250年、結局両派とも壊滅する形でこの争いは孫権が決着をつけ、七男の孫亮が皇太子となった。
252年孫権は死去する。
この後、呉では皇帝は飾り物となり良くも悪くも独裁者が登場しては討たれるということが続く。
264年、久しぶりに独裁者が一掃され孫皓が四代皇帝となったが、今度は孫皓がだんだん凶暴性をあらわにし、暴政を行うようになっていく。
276年、呉の防衛を一人で支えていた名将、陸遜の息子の陸抗が死去すると、晋は呉遠征を計画。
280年、北と西から呉に侵攻すると、暴政に嫌気が差していた人々は多くが戦わずして降伏。
破竹の勢いで建業までせまり、孫皓は降伏し呉は滅亡した。
こうして、司馬懿の孫の司馬炎の晋が天下を統一したが、司馬炎は天下を統一すると慢心して政治を省みず世は治まらなかった。
挙句、自分でも心配になるほどの暗愚な長男を皇太子にしてしまったので、司馬炎の死後に暴政と反乱が相次ぎ、異民族までが侵入し晋が統一国家であったのは事実上呉の滅亡から司馬炎の死までであった。
こうして、五胡十六国時代から南北朝時代におよび、隋の天下統一まで続く分裂の時代が幕を開けたのであった。
「三国ことごとく司馬氏に帰す」
魏が呉と蜀を滅ぼしたあとに司馬一族が乗っ取り晋になります。その後、また分裂(南北16国)して戦乱が続きます。約300年後に隋による統一まで戦乱が続いたりします。その戦乱は三国志どころじゃなかったりしますが、小説もあまりないのであまり有名じゃありませんね。
晋による統一で終わります。
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