2012年3月9日金曜日

三国志の呉が好きな方へ 呉の良い所や豆知識など呉のことならなんでもいいので書...

三国志の呉が好きな方へ



呉の良い所や豆知識など呉のことならなんでもいいので書いていってください



興味を引かれた人にベストアンサーをつけます







孫権という人物は権力欲は異常なほど高かったようですが、物欲は全く無かったようです。



宝石や象牙といった貴重品をホイホイ魏に差し出し代わりに馬を貰ったり、過剰な献上品を禁じたり宮中の食事を質素にするよう命令を出したりしています。

極め付けは太初宮(孫権の宮殿)の改装。正史呉主伝に以下のような記述があります。

「(247年)3月、太初宮の改築を行い、諸将や州郡の長官たちも労働奉仕に加わった」

で、この記述の註釈が面白い(長いので少し要約)。

『孫権は改築するにあたって

「建業宮(太初宮)はかつての将軍府の役所をそのまま使ってるので、老朽化が激しく倒壊の心配もある。ただ、もう遷都する気はないから武昌宮(一時期武昌に首都を置いていた)の資材を使って修繕しよう」

と命令した。役人たちは

「武昌宮も築28年、資材を流用するのは難しいでしょう。せっかくなんだから全国から木を伐採しましょう(要は大掛かりな事業をやりたいと)。」

ところが孫権は

「今でさえ多くの賦役を課しているのに、さらに宮殿造りに駆り出せば農業の妨げになる。グダグダ言わず武昌宮の木やら瓦やらで作れば十分だ」

と言った。』

孫権はリサイクルに熱心なとってもエコな人物だったようです。ただ同時に自分の趣味に関しては金を惜しまない人物でもあったんですけどね。








呉では伝統的(?)に君主権力が強くありません。孫権の権力欲もその裏返しのように取れますし、悪名高き孫晧も見方を変えれば君主権力の強化をしようとした(若干やり過ぎた)とも言えます。



さて呉ではその存続期間の約半分が孫権の治世ですが、孫権ほど臣下に色々と反抗された皇帝も珍しいですね。

張昭との度重なる大喧嘩(しかもお互い子供っぽい)を筆頭に、赦免しないと言い続けているにも関わらず幾度となく出される周胤(周瑜の次男)への赦免嘆願や、虎狩り・船遊びといった孫権お気に入りの遊びをするたびに居並ぶ群臣から「ダメです」「危ない」「だから聞けって!」の大合唱(笑)。



朱治や呂範をはじめ、父・兄の代から先輩臣下が多いこともあり、孫権は君主であるきも関わらず頭が上がらない人物が大勢いました。それは個人的な恩義だったり(朱治)、篤すぎる信頼だったり(諸葛瑾)、絶大な功績だったり(陸遜)、理由は様々です。

また家格の違いにも随分苦労していますね。もともと孫家は呉郡の中級~下級豪族でしたから、呉郡の四姓と言われる朱氏(朱治・朱然など)、顧氏(顧雍など)、陸氏(陸遜・陸凱など)、張氏(張温など)はもとより、揚州随一と言える名門の周氏(周瑜など)、歩氏(歩隲など)、その他にも徐氏(徐コンなど)、呉氏(母の呉夫人や呉景など)といった在地豪族たちと比べて、相対的な優位性しか持たなかったようです。



そういう「思うようにならないストレス」が、酒乱とまで言われる酒席での乱行奇行に繋がったのでは…?(汗)

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