三国志でできたことわざを教えてください
マイナーなとこだと、
「呉下の阿蒙にあらず」
です。
呉の呂蒙は戦場での戦果から将軍にまでなりましたが、呂蒙は元々無学の猪武者、将軍になって人の上に立つ立場で無学はちょっと物足りない。
で、孫権が「お前勉強しろ」と歴史書や兵法書をプレゼントして、呂蒙もそれを見て猛勉強しました。
そして時が経って、魯粛という政治力や外交力では諸葛孔明に匹敵する智謀を持っていた武将が呂蒙の陣にやってきました。
魯粛は「ちょいとからかってやろう」って感じで、呂蒙を少しバカにした態度で戦いの戦術の話をふっかけてきたのですが、
猛勉強の結果文武両道のスーパー武将になっていた呂蒙は逆に魯粛を論破し、
「呉の都にいた時のボンクラ蒙ちゃんとはえらい違いだ!(呉下の阿蒙にあらず)」と感激したという故事が由来です。
「呉下の阿蒙にあらず」は日本語にもなっていて、「昔と違って(良い意味で)すごく変わったな」という褒め言葉です。
「呉下の阿蒙」になると、逆に「(悪い意味で)お前、昔と全然変わってねーな」という罵り言葉になり、
同窓会とかで十数年ぶりに会った、相変わらずやんちゃだったりボンクラだったりする同級生に、「お前、『呉下の阿蒙』だな」と婉曲的にけなすこともできます(笑
逆に、昔は筋金入りのバカだったのに、すごく立派になっている人に「『呉下の阿蒙にあらず』とはこのことだな~」という言い方もできます。
「隴(ろう)を得て蜀を望む」
元々は『後漢書』にある言葉で、光武帝が隴という地を手に入れた勢いで蜀を攻めたエピソードから、「一つのものに満足しないで、どんどん進んでいくこと」という意味ですが、
曹操も司馬懿にこの言葉を言っています。
でも、曹操が言ったのは「人間の欲はキリがない。欲はこれくらいで止めた方がよさそうだ」というニュアンスで使っていて、
『後漢書』とは全く逆の意味で使われています。
今のこの言葉は上の通り2つの意味があって、人や状況によってニュアンスが違います。
ある男が美人な彼女と付き合ったのですが、それに満足しないで他の女にも手をだそうとしました。
そこで知人が「あんたは『隴を得て蜀を望む』のか(笑」と言いました。
これは「彼女で満足しろ。欲に突っ走ったら足元すくわれるぞ」と忠告しているニュアンスです。
これはおまけですが、中国のことわざで「説曹操曹操就到」(曹操の話をしたら曹操がやって来る)というのがあるのですが、
これは「噂をすれば影」という意味です。
また、ことわざじゃないのですが、現代中国語で「諸葛亮」って「非常に頭の回転がいい人」「知恵が働く人」の代名詞で、
中国人に「お前は諸葛亮だ」と言われたら、「お前頭いいな~!」とめちゃくちゃ褒められてると思ってけっこうです。
中国のことわざで「三人寄れば文珠の知恵」を「三人の靴職人は諸葛亮に匹敵する」と言います。
けっこう知らない人いるかもしれませんが・・・
「断金の交わり」
孫策と周喩の仲からできたことわざ。
先の回答以外では、
「脾肉の嘆」・・・劉備が荊州時代に戦場で馬に乗る機会がないので自分のももの肉が付き過ぎてしまったのを嘆いたこと。転じて活躍できる場のないのを嘆くこと
「三顧の礼」・・・劉備が諸葛孔明を三度尋ねて招聘したこと。転じて礼を尽くして招聘すること
「苦肉の計」・・・呉の黄蓋が曹操をだますために自ら鞭打ちの計で肉体を傷つけたこと。転じて苦労の上にできた計略
「阿斗」・・・蜀の劉禅の幼名。転じて愚かな人間を指す
「死せる孔明、生ける仲達を走らす」・・・意味はよく分かりません
こんなところでしょうか。
「水魚の交わり」
劉備のもとに諸葛亮が仕官してからというもの、劉備は諸葛亮との話に夢中で、古くからの配下との交流がおろそかになっていました。
旗揚げのころからの配下であり、桃園の誓いで義兄弟となった仲でもある、関羽と張飛がたしなめたところ、「自分が諸葛亮を得たことは、魚が水を得たようなものであり、切って切れるものではない」といいました。
このことから、非常に親しく付き合う仲を「水魚の交わり」といいます。
http://e-zatugaku.com/history/koji3.html
ここから参照
曹操の噂をすれば曹操がやってくる
泣いて馬ショクを斬る
不祥事などを起こした者を、私情で罰を軽くして不信を招くような事をしてはならない。
諸葛孔明は
実戦で手柄のない
弟子の馬ショクに
熱く志願され
情に流されて
大将にしましたが
軍令違反で
大敗しました
孔明は 泣いて
馬ショク を
軍法通り
死刑にしました
ちなみに
馬ショクは
5人兄弟で
その中でも
馬良が一番だと
言われ
眉毛が
白髪のようで
白眉もっとも良し
から
白眉
一番優れている
という意味です
男子
三日会わざれば
カツ目して見よ
呂蒙が
もう呉下の
阿蒙ではないな
と 言われた時に
言い返した
言葉です
カツは一字で
舌リ です
滅亡した呉の
大差の話に
呉越同舟が
ありましたので
春秋時代です
三国時代では
ありません
「呉越同舟」もそうだと思いますよ。
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