三国志の中で温厚と言われている人物は誰ですか?また冷酷な人物はだれですか?
温厚な人物として
諸葛瑾です。諸葛亮の兄として有名ですね。その描かれ方から文官と勘違いする人もいますが、れっきとした武官です。しかも、大将軍の地位にまでついています。調整能力に優れ、蜀との仲立ちをしており、演義では引き立て役にされていますが、呉のなかでも人望が厚かった人物で孫権からも全幅の信頼を得ていました。ちょうど彼が大将軍だった頃が呉の一番平和だった時期でもあり、直接の部下に陸遜がいましたので、よけいに穏健派の代表みたいなイメージができています。顔が驢馬に似ていたためある日孫権が一匹の驢馬の額に諸葛瑾と紙をはりつけたが、瑾はにこにこ笑っていたという逸話があります。
冷酷な人間として
董卓にしようか孫皓にしようか迷いましたが、孫皓にします。三国志のなかで最悪の暴君です。
4代皇帝になった当初は智勇兼備の名君と謳われていました。遷都をしたり、後宮の女官を嫁がせたり、貧民救済などをしており、評判通りの施政ぶりをみせていました。
しかし、自分の権力強化の為いままで協力的だった名士たちを弾圧してから性格は豹変します。いわれのない殺害や圧政を繰り返しました。孫皓の佞臣で宦官の岑昆は民衆になぶり殺しになり、肉なで喰われたという逸話もあります。
三国志の作者陳寿も晋が彼を候に封じたことに異論を唱えており、腰斬刑(一番残酷な死刑)にすべきであったと述べています。
おそらくいっぱいいたのだと思いますが、前者は魯シュクや諸葛僅、後者は法正を上げさせていただきます。法正は部下に対して冷酷だったらしいです。董卓や孫皓も冷酷ですが、自分が意外だとおもったので、法正にします。
温厚の代表は諸葛瑾でしょうね。
あの利かん坊を絵に書いたような孫権が諸葛瑾の忠言だけは良く聞きました。それも諸葛瑾は直接言い聞かせて折れさせるのではなく、例えば孫権が頭が上がらなかった朱治という人物に対して「私が彼に手紙を書きましょう」と言って、それとなく遠回りに孫権の非も朱治の非も見事にまとめて孫権にすっかり解らせてしまったり、ただ黙っているだけで孫権に「オレなんか間違ったっけ?」と自問自答させたりと、角を立てずに丸く収める事にかけては天才的と言ってもいい人物です。
あと、陸抗も穏健で有名ですね。父の陸遜が孫権に有ること無いこと問い詰められて憤死したあと、さらにある人物が二十箇条にも及ぶ陸遜の罪状を挙げ立てますが、陸抗はそれに理路整然と、しかも語気を荒げる事なく反論して、孫権に「あなたの父上には本当に済まない事をした」と謝らせています。
孫権に明確に詫びを入れさせたのはこの2人だけかと思います。
次に冷酷な人物ですが、何と言っても公孫サン[王贊]。
優秀な若者を圧迫し困窮させ「どうせ取り立ててやっても自分の能力だと思って感謝なんかしやがらねぇ」なんて言ったり、敵に包囲された配下に援軍も出さず「今コイツを助けたら、他の奴らも当然助けてもらえると思って全力で戦わなくなるから放置!」とのたまってみたり。
人格者として人望篤い皇族の劉虞と不和になり、戦って生け捕りにすると「お前が本当に優れた人物なら雨を降らせてみろ」とか言って、雨が降らなくて殺してみたり。
さらには絹商人や占い師などと義兄弟の契りを結び、世の中銭金が全てだと全力でアピールしてみたり。
トドメに袁紹との戦いで劣勢になってくると、要塞化した易京城でニート化し、「三百万石溜め込んだし、これ食べてる間にゃ勝手に平和になってるだろ」とか抜かしてみたり。
董卓なんか可愛いもんです(爆)。
魯粛(温厚)
裕福な豪族の家に産まれた御曹司。
持っている2つの倉の内の片方をそっくり与えたいうし、
知略に優れた人物として扱われつつも、
温厚かつお人よしな性格のために諸葛亮にあしらわれ、
周瑜にはなじられるという損な役回りになってますよね。
温厚ゆえに、目立たない・・・。
曹丕(冷酷)
暴虐な人は腐るほどいますが、冷酷とあれば、
曹丕!まさに自分勝手系。
甄氏に死を賜ったことや、曹植を冷遇したことが有名ですが、
曹植は甄氏を想っていたとされていて、跡目争いで不仲ではなく、
甄氏を巡る話での不仲と言われます。
曹丕が太子になって浮かれ、辛憲英から呆れられたエピソードから、
于禁を憤死させた際の顛末、夏侯尚への制裁。
丁儀・鮑勲・楊俊の粛清。
功臣で宗室である曹洪を、過去に借財を頼んで断られた恨みから、
皇帝即位後に他の罪を口実に殺そうとするなどもある。
正直、陰険な逸話が数多く残っている。
彼が父以上に神経質で冷酷な性格であったことは否めない。
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