三国志時代に関して
荀彧や張昭などのほうが、曹操や孫権などより、出身階級が高いと聞きました。
仕えることに抵抗感のようなものはなかったのでしょうか?
それとも、曹操や孫権に仕えるというより、
「漢王朝に仕える」、
「曹操や孫権は主君ではなく上司」
という意識だったのでしょうか。
荀彧は士丈夫(貴族のようなもの)出身で曹操は宦官の義理の孫でした。
宦官は去勢しているので当時主流だった儒教の考え方からいって忌み嫌われる物でした。そのため曹操は幼少時代からいじめられてきました。
しかしこの幼少時代が曹操を覇者とならしめたといっても過言ではありません。
袁紹やほかの群雄達は才能に関係なく士丈夫などの生まれのいい清廉な人物ばかりを厚遇して生まれが卑しい人物や性格が悪かったりする人物を冷遇しました。
それに比べて曹操は完全に能力主義を第一においた人材登用をしていきました。
荀彧最初は袁紹に仕えていましたが荀彧の奥さんは宦官の娘だったので冷遇されました。
そこで自分の才能を一番発揮できる場所ちして荀彧は曹操を主君に選んだそうです。
荀彧が来たとき曹操は「我が子房(前漢を建てた劉邦の軍師張良の字)だ」ととても喜んだそうです。
張昭については孫策に招かれてそのまま孫権に仕えたそうです。
孫策は死に際に弟のことを頼む。と懇願したため孫策への義理立てなどが孫権に仕える理由なのではないでしょうか?
日本でも豊臣秀吉や斎藤道三など
元は低い身分から
出世した人はいますが
あまり重要視されてなかったですし
官位が金で買える時代でしたから
そんなに気にしてなかったと思います
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