2012年3月29日木曜日

みなさんは三国志大戦3でどんなデッキを使ってますか? 後できれば好きな勢力と...

みなさんは三国志大戦3でどんなデッキを使ってますか?



後できれば好きな勢力と階級を教えてください。







メインのほうは現在証1から4あたりを行ったり来たりの万年太尉。

デッキは

R孫権、SR甘寧、R太史慈、UC張紘、C凌操 軍師・周瑜 のテンプレ粘り手腕

R孫権、R周泰、R太史慈、R孫尚香、UC韓当 軍師・呂蒙 の遠弓デッキ

SR諸葛亮、R馬超、R魏延、UC関平、C夏侯月姫 軍師・法正 の八卦デッキ

が主ですね。



.NETで確認すると自分の場合基本的に好きな勢力=使用率なので顕著に現れています。

呉44% 蜀34.7% 群雄19.1% 魏2.2%








三国志大戦は2の後半(新カード導入時)からの参戦です。現在は低品で頑張ってます。

デッキは

R孫権 R丁奉 R孫尚香 R太史慈 UC張昭 軍師R呂蒙 の遠弓デッキです。

以前知恵袋に質問したこともあります。

好きな勢力は呉ですね。元々呉の丁奉が好きですし。

本音は2からのデッキ(手腕徒弓の弓単)でしたいのですが徒弓号令が無くなったのと現バージョンで弓単は勝てるデッキを組めそうにないので上記のデッキでやっています。







忠義が大量に湧いてる低品で魏4を使ってます。

正直まったく上にあがれる気がしない・・・







珍しいデッキなので身バレしそうですが

SR曹操・SR王異・R羊コ・C李典・C曹洪

階級は一品で現在休止中です。

好きな勢力も魏です。







実力は普通ぐらいだと思います。(曖昧ですが、勝ったり負けたり勝率5割ぐらいって感じです)

1から(2005年)やってるので経験はあると思います。

3からはあまりプレイしてませんね。



1はコンプまでして、色々な勢力を使ってました。

2からずっと蜀です。(コンプに魅力を感じなくなり蜀だけ集めて軽く遊んでます)

さて現在の3のデッキは以下です。



SR劉備、Rギエン、Rホウトウ、Rジョショ、Cリュウホウ。

大徳、連環デッキ。



SR劉備 、Rギエン、Cチョウショウ、UCカンペイ、Rジョショ

大徳、誘導デッキ。



デッキ作る時のポリシー



基本的に5枚デッキが多い。

低知力のカードは1枚か使いません。

計略は号令の全体強化系とダメージ系は必ず入れます。それと妨害系(上記なら連環や蜀への誘導)







階級は・・・言うと大した奴じゃないってバレるんで、2の時は「一応」覇者してた、とだけ言っときますw

好きな勢力は魏と蜀です。

使ってるデッキは色々なんですが、主に騎馬です。

SR張遼、UC夏侯惇、UC曹仁、C劉ヨウ、C郭皇后

SR曹操、R張コウ、R郭カ、C劉ヨウ、C郭皇后

SR劉備、R魏延、UC関平、UC法正、UC周倉

全国ではこのくらいですかね・・・。

英傑とかではもっと呉とかで遊んでたりするんですがw







証1から2あたりにいるものです。

デッキは

R高順、UC公孫サン、Rキョウイ、Rホウ統、UC周倉、軍師馬謖ですね



好きな勢力は特にないですが、挑発が好きでRキョウイをよく使うんで蜀をよくつかいます。あと、号令を入れたデッキよりも号令のない変則デッキが好きですね

三国志について質問です。 あなたは、呉の武将の中で誰が一番好きですか? その...

三国志について質問です。



あなたは、呉の武将の中で誰が一番好きですか?



その理由もお願いします。



ちなみに、これは誰でしょう?



↓↓↓↓↓↓↓↓↓














忘れもしない、初めて見た時はなんて悪いヤツ!と思いました。呉の鎧姿の白髪武将、呂蒙です!



…横山光輝さんの三国志では、荊州奪還に燃える武将で、したたかではあるがあそこまであくどくはないですよ(怒)。



私は丁奉や徐盛、朱桓がかっこいいと思いますが、周泰!孫権のボディーガード、傷の数が戦歴の男!かっこいい!








呉の武将では孫皓です



理由は残虐なのにに賢くまるで人間そのものみたいだから



人形は黄蓋だと思います







甘寧がいいです。荒々しくてとてもカッコイイです。しかも強いし。



画像のやつは、魯粛ですかね?







人形劇あまり詳しくないのですが、



黄蓋か、張昭だったかと思います。

たぶん違うかもしれません。



呉で好きな武将は、孫権へ政権が移譲してからであるなら、朱然です。



2000人もの自分の部下の名前と家族構成すべてを記憶して、

全員を大切にしたという逸話が残されています。



合肥の戦いにおける魏の張遼との和睦に至るまでの名勝負も、

好きな武将に挙げる理由のひとつです。







若くして死んだ孫策かな。もっと長生きしていたら三国志の歴史の流れそのものが変わっていましたね。



頭脳明晰、度胸満点、武勇に優れしかも美男子、と持って生まれたスターです。







呂蒙ですかね?NHK後に吉川を読み、キャラのギャップに驚きました。



好きな武将は、魯粛です。大局を読み自説を曲げす、実行のためには妥協も知る、まさに名将です。

三国志大戦3についてのデッキ診断をお願いします。一応呉単で、孫パパ(我が屍を超...

三国志大戦3についてのデッキ診断をお願いします。一応呉単で、孫パパ(我が屍を超えよ)は入れておきたいのです

が・・・・・・・

あと呉で使いやすいカードを教えてください。まだ十品なので・・・・

SR:孫堅

SR:孫権

R:陸孫

C:朱桓

の4枚です。診断お願いします。







17日にバージョンアップなので

「診断は出来なくもないが、強いデッキなのか弱いデッキなのかまで診断出来ない」

という状態がしばらく続きます。



例:SR張角と軍師賈クを使った黄巾デッキが強い時代があったが、バージョンアップで精兵陣の永続が廃止されてから弱くなった。





新カード情報が判明し、診断者が流行を理解するまで…あと1週間は様子をみたほうがいいです。









一応解説しておくと…





コスト8使い切っていない、士気をたくさん使う計略しかないなど…このデッキは欠点はいくつもあります。



屍固定ならR陸遜は優秀なので入れてOK、残りでデッキのバランスを整えていく形でいいでしょう。





コスト1.5はUC蒋欽、C呂岱、UC文欽、UC程普などの弓兵

コスト1はUC張絋、UC張昭、C孫桓、C歩隲、SR小虎、R呉夫人、R呉国太、UC吾粲など…挙げたらキリがないですが…



このあたりから選択すると良いでしょう。





ただ最初に書きましたがバージョンアップによりいろいろ崩壊すると思うので、この診断はあくまでも参考程度にとらえてください。

三国志大戦3 わたくし超初心者のデッキ診断お願いします。後防さくは何個でも立て...

三国志大戦3



わたくし超初心者のデッキ診断お願いします。後防さくは何個でも立てれるんですか?





旧カード朱然

王平

韓当

旧カード張飛(横山光輝)馬岱


お願いします。







失礼ながらそれは8コスト分カードを集めただけの紙の束です。



具体的に何をどうしたいのかのビジョンが全く見えません。



まずはカードを集めることから始めてください。



今はヤフオクでもシングル屋でも三国志大戦のカードは安価で購入できます。



極論してしまえばそのデッキで全国1勝するまでにかかる金額より遥かに安い金額でカードが揃います。



よく言う安くかつ強いのは呉バラ。

R孫権、R太史慈、R周泰、C太史亨、UC張紘 軍師・陸遜か魯粛

R孫権、R太史慈、R孫尚香、C朱桓、UC張紘 軍師同上

でも500円から600円程度で揃います。



ここにSR甘寧を入れたとしても1000円出るかでないかです。



魏・蜀はキーカードにSRが多く、群は癖が強く、漢は出たばかりということもあり割と収集に金がかかることを考えれば上記の呉バラが一番でしょう。





ちなみに防柵は最大で8枚まで設置可能です。

ただ防柵持ち武将はコスト比武力が低いのでそれだけで勝つの厳しいでしょうが。



実戦レベルだと

SR呂蒙、R孫権、C賈華、C董襲、UC張昭で5枚程度でしょうか。

三国志大戦のトレーディングカードについて質問です。横山光輝バージョンは全部で...

三国志大戦のトレーディングカードについて質問です。横山光輝バージョンは全部で何種類ありますか?詳しい方は情報を下さい。よろしくお願いします。







===蜀===



劉備

関羽

張飛

趙雲

諸葛亮

馬超

黄忠

周倉

張松

魏延

関平

姜維

馬岱

芙蓉姫

龐統



===呉===



孫策

孫権

周喩

タイシジ

陸遜

呂蒙

甘寧

魯粛



===魏===



曹操

司馬懿

典韋

夏侯惇

許褚

チョウコウ

曹仁

龐徳





===西涼===



呂布

チョウセン



===袁===



顔良

文醜



===他===



孟獲





以上です。





===補足について===



一番手っ取り早いのは ネットオークションでの纏め売りを買う。



それか、カードショップ等で買う。のドチラかですね

三国志って今から何年前の話ですか?3000年位前ですか?当日の日本は卑弥呼あたり...

三国志って今から何年前の話ですか?3000年位前ですか?当日の日本は卑弥呼あたりの時代ですか?







三国志は、三国時代の話です。三国時代は、西暦220年~280年までを指します。

後漢が有名無実だった時代、西暦184年の黄巾の乱からを指すこともあります。



三国志の登場人物で主だった人。



劉備 161年~223年。

諸葛孔明 181年?~234年。

曹操 155年~220年

孫権 182年~252年



ということなので、三国志の英雄が活躍した時代は、西暦200年代の始め。今から1800年くらい前になります。



卑弥呼は西暦170年?~248年頃と考えられています。三国志に登場する英雄たちとほとんど同じ時代を生きたことがわかります。








西暦200年前後ですからいまから1800年前ですね

日本は邪馬台国の卑弥呼が魏に遣いを出しました

三国志だ大好きな者です。 いきなりですがNHK大河ドラマで三国志が放送されるこ...

三国志だ大好きな者です。

いきなりですがNHK大河ドラマで三国志が放送されることのなったら俳優、女優は誰を選びますか???

とりあえず物語上登場キャラが多すぎるので主要人物である、

曹操、孫権、劉備、諸葛亮、司馬イ、張角、董卓、袁紹、呂布、周ユでお願いします







曹操・・北大路欣也(押尾学か小泉孝太郎)

孫権・・高田延彦

劉備・・西田敏行(上川隆也)

諸葛亮・・渡部篤郎

司馬懿・・中尾彬

張角・・舟越英一郎

董卓・・丹古母鬼馬二

袁紹・・京本政樹

呂布・・反町隆史

周瑜・・真田広之



()は若い頃

三国志が好きな方、詳しい方に質問です。

三国志が好きな方、詳しい方に質問です。

映画「レッドクリフ」を見て三国志にすごく興味を持ちました。

また、現在、テレビで14、5年前に中国で制作された「三国志」のドラマが放送されており、これにもすっかりはまっています。

しかし、映画とテレビとでは内容に少し違いがあって、三国志っていったいどういうお話なのか、もっと詳しく知りたくなりました。

読書好きということもあり、今度は小説で三国志の世界を知りたいと思っています。

おすすめの書籍はあるでしょうか。

yahooの特集ページでは「新装版 三国志 (著者:吉川英治)」のタイトルがあがっていました。この本が一番オーソドックスな感じがしましたが、三国志がお好きな方のご意見をお聞きしたいです。

それから、三国志の登場人物の中では「諸葛孔明」が大好きになってしまいました。(金城武ファンではありません。)諸葛孔明について書かれているもので、面白いものがあったら教えていただきたいです。







またここに、三国志の魅力に見入られ、

どれから読むか迷える子羊が生まれました。



「演義」の主人公といえる諸葛亮が、

五丈原で陣没するまで(ここがクライマックスですから・・。)

を描いた小説という括りだと



質問者さんが挙げられている、

【三国志】(吉川英治)講談社全8巻

三国志といえば、まず吉川三国志です。

日本の三国志スタンダードですね。

レッドクリフ特需で、新訂装版(5巻だったかな?)が出てます。



先の回答者さんも挙げられた、

【秘本三国志】(陳瞬臣)文春文庫全6巻

この人の作品は安心して読めます。

三国志以外の中国歴史小説も素晴らしいですよ。

これまた、新訂装版が出始めましたね。



割と評判がいいのが、

【興亡三国志】(三好徹)集英社全5巻

ダイナミックな切り口で、読みやすいです。

どちらかというと魏に好意的です。



諸葛亮陣没後も物語は続きます。



まず、呉に主眼をおいた、

【呉三国志長江燃ゆ】(伴野朗)集英社文庫全10巻

呉を主人公としたことには拍手を送りたいですね。

独特の切り口で、作者の主観が入っているので

演義と違和感があるとの評もあります。

私は小説なんだから、それでいいと思いますが・・。

孫権死後ももう少し書いて欲しかったです。



大穴的に面白かったのは、

【小説三国志】(鄭飛石)光文社文庫全3巻

韓国の国民的人気作家の三国志です。

蜀滅亡までの物語で演義とも違う書き方です。

独特の切り口で、面白かったです



重鎮、宮城谷さんの、

【三国志】(宮城谷昌光)刊行中

曹操のお爺さん時代から始まります。

単行本で7巻、後追いで文庫本で2巻刊行中、

さすがの宮城谷作品です。

宮城谷さんの中国歴史小説は、どれも秀作ぞろいですね。



忘れちゃならない、

【三国志】(北方謙三)ハルキ文庫全13+2巻

私は、これから三国志(というより中国の歴史に)入りました。

とても面白いです。

でも、

言い切ってしまえばこれは三国志ではなく北方三国志です。

最初に読むと、他の演義系の小説や訳本との違いに戸惑います。

私は、ゲーム未経験なので、ゲームの内容には疎いですが、

ゲームをされる方には、特に評判が高いですね。

ハードボイルドだから?

2.3冊読んだ後に読まれることをお薦めします。



ご紹介した本を含めて、書店でまずページを開いてみて、

自分の感性に合いそうな小説を、2~3種読まれて、

なお、三国志への興味が尽きなさそうに感じられたら、

中級コースとして、

俗に言う「三国演義120回本訳本」、

三国志小説の大元になった訳本へお進みになられてはいかがでしょう。

その際、またご質問されれば、

この中国史カテゴリーには、三国志フリークが多数居られますので、

私も含めて、訳本のご紹介もしていただけるかと思います。



そして、上級コースの「正史三国志訳本」

(演義の更に元になった歴史書)が待ち構えております。



諸葛亮がお好きだということなので、



【諸葛孔明】陳舜臣(中公文庫)全2巻

陳さんの小説はどれも面白いですが、この諸葛孔明も名文ですね。

安心して読めます。



面白いものとなると、

【泣き虫弱虫諸葛孔明】酒見賢一(文芸春秋)2巻(刊行中)

をお勧めします。

陳さんの「諸葛孔明」を読まれて、

諸葛亮のイメージを構築された後この本を読まれると、

腰砕けになるほどショックを受けるかもしれません。

それくらい抱腹絶倒しそうになります。

3巻発刊が待ち遠しいです。

酒見さんが「赤壁」をどう描いてくれるか・・。



テレビで放映されているというのは、

『三国演義』(中国中央電視台(CCTV)製作)の

TVドラマシリーズかと思います。

(残念ながら私は視聴できる環境にいませんが・・。)



1991年に国家的事業として撮影され、

製作費は当時の日本円で凡そ100億円超、

動員された人民解放軍のエキストラは延べ10万人以上といわれます。

CGやミニチュアは使わず撮影している点も評価が高いです。



レッドクリフは娯楽エンターテイメントですのですので、

今ご覧の『三国演義』が、どちらかというと史実に近いかと思います。

(もちろん、三国志演義ですから、正史と較べるべきものではないですが・・。)








私も「レッドクリフ」からの三国志ファン(ファンと言っていいのかどうか?)です。

とりあえず、吉川英治著「新装版 三国志」を読みました。

三国志を淡々となぞらえているような感じでした。

読んでいくうちに様々な人物が出てくる中で、今は興味の湧いた人物を描いているものを手当たり次第に読んでいます。

書き手によって色んな解釈があり、そこがまたたまらなく面白いですね。

こういった楽しみ方ができるのも、吉川英治著の三国志を初めに読んだからだと思います。



オーソドックスな書物をベースに好きな人物を追いかけてみるのがお勧めです。









ちなみに…



「レッドクリフ PartⅡ」はよく練られた娯楽作品に仕上がったと思います。

三国志の雰囲気を壊すことなく、迫力あるエンターテイメントに仕上げられていて…。

これも「三国志」を通読した後に観たから持てた感想だと思いました。







三国志が好きなので回答させて下さい。

私は柴田錬三郎の「三国志 英雄ここにあり」がお勧めです。

この作品は三国志演義に柴錬の想いを重ねて、躍動感たっぷりな作品だと思います。関羽、張飛の活躍が頭に浮かんでくるような面白い作品ですよ。



吉川英治の三国志は読まれたのかな?これは三国志演義を日本人向けに書いた素晴らしい読み物だと思いますよ。



話はそれますが、三国志を知る上で、漢王朝の祖 劉邦の話である「項羽と劉邦」司馬遼太郎、だいぶ遡りますが周の軍師呂尚の話「太公望」宮城谷昌光など、三国志以前の話も三国志を知る上で参考になると思いますよ。







横川光輝の漫画『三国志』をお勧めします。

漫画だけあってすんなり漢末~孔明の死までを読みきれますし、吉川英治の「三国志」を原作に漫画化してますからまさに一石二鳥です!



映画とドラマの内容の違いですが、大きく分けて「三国志」には2つあり、1つは「正史」、歴史としての三国志で、もう1つは「演義」、つまり、多少史実とは違うけれど、面白おかしく作られた三国志です。(一般的には三国志演義の方が多くの方に知れれた内容だとおもいます。)これは日本の「忠臣蔵」のような物で、文字を読めなかった人たちが芝居で楽しんだ所から起こっているので、地方毎に多少話が違ったりしますが、映画・ドラマの監督がどちらを題材に映像化してしるかの違いと、監督等の主観がはいているから内容に個性が出ているのではないでしょうか?







個人的に陳瞬臣さんの

「秘本三国志」が良かったです。

あと宮城谷昌光さんとか、

北方謙三さんとか。



諸葛亮を扱ったものはまだ

読んでいないので分かりません。





詳しくというなら書店で

図説三国志とかありますよ。

よかったら探してみてください。



映画とドラマの違いですが、どうも映画は

「女」というものを意識して書かれている気が。



ドラマ私も観てますよ。

けど何週か前の張飛と厳顔の

戦いでつけ髭出てきて中国のドラマは

なんて雑なんだと思いましたが、なるほど

かなりまえの再放送だったんですね。

三国志のゲームの中で何が一番面白いと思いますか? 無双系をやって、三国志には...

三国志のゲームの中で何が一番面白いと思いますか?



無双系をやって、三国志にはまりました。



ハードはPS2orPSPでお願いします。

ニコ動とかでⅨのプレイ動画とかを見たのですが、難易度的にはどうなんですか?



戦略ゲーはあまりやったことがないので、なるべく簡単なほうがよいです。



それと、オリジナル武将をたくさん作れると楽しそうな感じがします。



その他もろもろと皆さんの感性できめてください。



お願いします。







基本KOEI三国志シリーズは、序盤がキツイだけでそこを乗り切ってしまえばあとはたいした難易度はないよ。



ベストは9、次点で11

なぜなら曹操、孫権陣営が再評価されて能力が上昇、劉備陣営のえこ贔屓が見直されて能力ダウンしてバランスがとれているから。

三国志軍師・将軍について

三国志軍師・将軍について

甘寧、陸遜、キョウイ(蜀)、

軍師とか将軍の中で長男は誰がいますか

マイナーな人でも誰でも良いです







諸葛亮(蜀)は兄に諸葛瑾(呉)がいます(ともに軍師)。



長男なら曹操(魏)とその息子の曹丕(魏)もです。そして曹丕の息子の曹叡もです。



孫堅(呉)の息子の孫策(呉)も長男です(弟に孫権)。



袁紹も長男です(弟に袁術)。







これくらいでいいですか?





「三国志」を読まれた方へ。 その醍醐味とは何でしょうか・・・?

「三国志」を読まれた方へ。



その醍醐味とは何でしょうか・・・?







確かに。この質問によって深く考えさせられました。

なんていうか、日本人の気質にあっているのでしょうかね?「判官ひいき」というか、弱小勢力だった劉備が「正義」、巨大勢力の曹操が「悪」のような目線にたって描かれているものが多いですよね。





ファミコンのおかげで劉備、曹操、孫権など、有名どころだけは中学生のころから知っていましたが、物語などは何一つ知らない状態でした。そんな私は高校生で初めて三国志を読み始めましたが、(マンガも小説も)すっかり洗脳されて、蜀を応援していましたからね。

余計なことを話してしまいましたが、弱きを助け、強きをくじくみたいなのが、日本人は好きなのではないでしょうか。

三国志大戦3の手腕デッキ‥‥ 今使ってるデッキが、 蛮勇孫策 赤壁シュウユ 黄ガイ ...

三国志大戦3の手腕デッキ‥‥



今使ってるデッキが、

蛮勇孫策

赤壁シュウユ

黄ガイ

手腕孫権

張鉱




勝率がなかなか良いので、このままでも良いと思ったのですが、張鉱の浄化の範囲が狭くなってしまってるので、張悌に変えても問題ないでしょうか?







僭越ながら、書かせていただきます。



蛮勇を多く使う機会があったり、小回りの利く武力上昇計略がほしいというのであれば、張悌を入れるのはありだと思います。

そうでなければ、張鉱を保険代わりに入れておくほうがよいでしょう。

いくら浄化が狭くなったとはいえ、浄化があるために妨害計略の使用をためらわせるという効果もありますから。



何か参考になればと思います。

では、楽しい三国志大戦ライフを!








下の方々が言うように浄化を入れるだけでも妨害対策になるし、引き継ぎは呉単には合わないので入れる必要はありません。



敢えて言うならば張鉱を小虎にしては? 春眠は今微妙な範囲ですが、赤壁ありますからこの二択を相手に迫れるという利点があります。 魅力と防柵稼げるのも○







張紘を入れてるだけで相手に妨害計略を躊躇わせる事が出来ます。張悌もありだと思いますが、引き継ぎ蛮勇をしても他のカードが撤退したら意味がないし、そもそも、手腕が飾りになっちゃいますね。範囲が狭くとも張紘の存在は偉大です。グダグタ書きましたが、結論は張紘の方がいいですよ。張悌も一度使ってみてしっくりくるなら変えてもいいんじゃないかな?

三国志演義のゲームをやったときに、孫尚香というキャラがいました。しかし本を読...

三国志演義のゲームをやったときに、孫尚香というキャラがいました。しかし本を読んでみても吉川三国志には書いていませんでした。

劉備は甘婦人、糜婦人の死後に呉と政略結婚しますが、その相手である男勝りな若い呉氏が孫尚香なのでしょうか?







ご推察のとおり孫尚香は劉備の夫人で孫堅の末娘、孫策・孫権の妹にあたります。

古代中国では女性の名が残ることが少なく、正史にも、また演義にも正確な名前は記されていません。

孫尚香は京劇での役名として広く使われています。

http://meiyuan.hp.infoseek.co.jp/b_sunshangxiang.html

http://home.hiroshima-u.ac.jp/cato/KGZjjdd.html

三国志での質問なんですけど、三国志の中で、優れている君主をあげるとしたらだれ...

三国志での質問なんですけど、三国志の中で、優れている君主をあげるとしたらだれですか?

三国志のなかで、あなたの好きな君主をベスト10で答えるとしたら、だれですか、?できれば理由も教えてください、

僕の中では

一位曹操

二位孫堅

三位劉備

四位陶謙

五位公孫瓚

六位袁紹

七位劉表

八位馬騰

九位張魯

十位劉璋

です。







僕の場合

1位 曹操 人を能力を見抜く能力がたけているから

2位 孫権 人の意見を聞き入れることにたけていたから

3位 呂布 陳宮も含めていれていますけどこれほど仲間で安心する君主もいないと思う。

それと人望もすごかったんだと思う(張遼などがつかえてた)

4位 劉備 義勇軍から一国の君主になったのはすごいと思う。人望もあるから。

5位 馬騰 昔から帝に仕えていて、部下にも厳しくも優しいから

6位 孟獲 南蛮の王という重たい看板を背負っても孔明に頭を下げたこと、そしてなにより南蛮平定の後孟獲が死ぬま までずっと反乱がなかったことからも言えると思う。

7位 張魯 他国に侵略せず「五斗米道」で漢中をまとめたのはすごいと思う。

8位 孫策 性格は荒いところもあるが、仲間思いで何より統率力と武力があれほど兼ね備えている君主もそういない。

9位 袁紹 名門の出で名声だけなら群雄割拠の時代トップクラスではないでしょうか?

10位 張角 正直こいつが一番優れていると思う・・・・1位でもいいくらいだけど批判がありそうなので10位にしました。

なぜそこまで評価するかというと

他の君主は張角が持っていなかったものを持っているから上位にいるだけで張角がそれを持ったら最強だと思う

・良い軍師 ・良い武将 ・兵力を整える時間(黄巾の乱を起こす前に乱があることは朝廷が知ってしまってそのことを知っているのに時間がないので乱を起こした)など








1位曹操…説明不要。2位張魯…小寡国民を実現。3位劉焉…張魯を派遣し連絡を遮断し独立国を築く。惰弱な息子でも長く統治できた。4位孫権…兄の跡を継ぎよく守った。性格に難。5位劉備…人を惹き付ける。裸一貫から帝となったのは偉業。守るべき地を得た途端に失敗。6位劉禅…暗君だが曲がりなりにも国を保った。7位曹叡…適材適所の英主。後継者、公共事業がマイナス。8位士燮…交趾に君臨。が退嬰的。9位韓遂…怪人。中央で活躍できる素養もあるだけに辺境で死んだのは残念。10位曹奐…穏やかに禅譲。

三国志演義で有名な悪役・董卓についてですが、彼は北方民族の血が混じってるので...

三国志演義で有名な悪役・董卓についてですが、彼は北方民族の血が混じってるのでしょうか?



そういえば孫権も紫髯碧眼として描かれていますが、彼も異民族の血が混じってるんでしょうか?







董卓に関して、そのような記述は現存の史書には見えません。

しかし、出身地や羌族の間を放浪したりした事などから類推すれば、可能性が全くないとも言えません。「そうかも知れないし、そうでないかも知れない」のです。



孫権に関しては、紫髯(赤みがかかった頬ひげ)という記事は裴注にありますが、碧眼のほうは『三国志演義』のオリジナルです。

ですから異民族の血を引いている可能性は低いと思われます。

三国志の孫策は優秀な人でしたか?

三国志の孫策は優秀な人でしたか?







戦いは非常に巧く勇猛だといわれてます。



ただ君主として国を治める才能は弟孫権のほうが優れてると彼自身も言っています。








優秀ですよ。軍事的には天才です。曹操と戦って欲しかった人物ですね。

ただ君主としては失格。人の上に立つ人物である以上臆病さも併せ持たないと必ず破滅する。孫堅、孫策はその類です。保身に気を遣えない。自分が先頭に立ちたがる。名声ある人を殺すのに躊躇いがなさすぎる。孫権もその悪癖を持つ人物ですが、運と部下の奮闘で助かった人物ですね。







若くして小覇王と呼ばれ、呉の国を大きくしました。凡人にはできないと思います。







血の気の多い、攻撃的な人格が君主としては欠点だったかも知れませんが、立派な人物ではあった様です。

三国志について

三国志について

三国志にもとずかれた映画「レッドクリフ」は

どこまで正しいのでしょうか教えて下さい!

もしくは全然違うのでしょうか

詳しく教えて下さい



知恵コインは25枚です







赤壁で孫権が勝って曹操が負けるという結果だけは正しいと思います。



ほとんど創作であると考えていいと思います。



追記 レッドクリフをもう一度観た上で、一応史実と違うと思われるものを挙げます(映画→史実)関羽が子供に授業をしているなどの明らかに創作であることがわかる部分は省きます



・騎兵の投槍→存在しない それと当時主流の戟ではなく、矛みたいなものを兵が持っていることがあるのが気になります。投げつけている槍と似たような形状のものです



・太陽光を反射させる戦法→存在しない



・曹操の追撃戦(太陽光反射の所)に関羽登場→関羽は水軍を率いて移動中



・曹操の追撃戦の最前線に曹操登場→曹操は最前線にはいなかった



・↑の戦いの後、城(夏口)に入り、そこで孔明が呉との同盟のため柴桑へ→魯粛が劉備に同盟を持ちかけ、劉備は承諾して南方への逃走を中止し、夏口へ。諸葛亮は柴桑へ。



・諸葛亮と孫権との舌戦→無し



・曹操軍80万 孫権・劉備連合10万→曹操軍20万、孫権(周ユ)3万、劉備2千



・周ユを諸葛亮が開戦の説得をしに行く→魯粛が劉備に同盟をもちかけた時点で周ユは既にはっきりと開戦派



・劉備軍、孫権軍と合流→劉備軍は後方に布陣し戦闘には参加していない



・曹操の発言「曹洪と張遼は2陣の水軍を指揮せよ…」「水軍は囮で騎馬隊で叩く」→両将軍は参加していない、また、騎馬隊が水軍と共に行動した記録はない。



・孫尚香戦場へ→そのような記録はない



・八卦陣で敵を誘い込み敵を分断し各個撃破→そのような戦術に簡単にはまるとも思えないし、そもそもそのような戦いや陣はない



・武将が単騎で突入→そのような戦術はないと思われる。多人数に囲まれてしまってはどうしようもなくなる



・団牌(円形の盾)を重ねて防御する方法→そのような戦法は記録にない。そもそも動きが鈍重になり、映画のように何かをぶち当てたり、火計を使われたりすると終わる



・蹴鞠が行われている→記録にない



・孫尚香の潜入、伝書鳩の存在→無い



・疫病を理由に劉備撤退→上にも書いたとおり最初から劉備軍はいない



・華陀が赤壁にいる、曹操が疫病の死者を敵陣営に流す→記録にない



・孔明が10万本の矢を策略で手に入れる→三国志演義の作り話



・偽の手紙で敵将軍を処刑に追い込む→三国志演義の作り話



・矢を連続で発射できる新兵器の連弩→諸葛弩は明の時代の物。相当後の話



・放火用の手榴弾の存在→無い



・小喬、曹操へ投降→嘘



小喬投降以降の話は全て嘘、盾を箱型に組んでみたり、砦に投石機があったりという設定も間違っている。



追記2 黄蓋が船で火計を仕掛けたのは史実です。見落としていました。 それ以外の小喬投降以降は嘘だと思います。



探せばまだ他にもいろいろと相違点は出てくるかもしれない








曹操が劉備を敗走させ、劉備が孫権に同盟を求める。

孫権は快諾して、赤壁で曹操VS孫権(史実では劉備は参戦していない)が起こる。

周瑜の火計により曹操軍は敗北。



これが史実で、後は殆ど脚色ですので、そこはジョン・ウーの映画は迫力あるな、と普通の映画を観る気分で楽しんで下さい。







私もレッドグリフを見たら違うところもちらほろあります。私の見るがぎりですが 第1作目では、赤壁の戦いでは劉備の陣営は諸葛亮しか出てきません。疫病がはやったから帰ったのではなく、最初から劉備はいませんでした、それに最後にあった地上戦はありません。それに孔明と周喩はそこまで仲はよくありません。第2作目はラストに曹操の砦に攻撃しましたが、本当は砦に攻撃なんかしていません、もちろん曹操と周愉が戦場で会うことなどありません。長分失礼しましたw







レッドクリフは「三国志演義」を元に作られたと思いますが、三国志演義ともチョットかけ離れた部分があったように感じます。

尚、「三国志演義」自体もいわゆる「物語」であって、史実でも歴史書でもありません。

歴史を元に作られた物語である「三国志演義」を、ジョン・ウーさんが更にエンターテインメント性を高めようと作った物語です。

まぁほぼ歴史とは無関係くらいに思って観るものでしょうね。まぁ史実がどうであったかがハッキリと解っているわけではないので、偶然にもピッタリ映画と一致してたり・・・という可能性が全く無い、とまでは言いませんがね。

とりあえず曹操と劉備・孫権の連合軍が戦いました、というのは間違いないでしょう・・・。

※戦闘の規模も場所も特定されてないですからね・・・

三国志「演義」と「正史」の違いを教えてください

三国志「演義」と「正史」の違いを教えてください







演義は三国志をモチーフにした「物語」です。

正史は歴史書です。

ですから、全くジャンルの違う書き物と言えます。

特に演義は物語である以上、「主役」がいます。劉備と諸葛亮ですね。

したがって、それに敵対する者は悪者となります。乱世ゆえの残酷な話は曹操がやった事となり、美談は劉備がやった事となります。

正史はほぼ史実に近い物なのでしょうが、それでも著者の陳寿の好みもあるでしょうし、孫権はボロカスに言われたりしてる所を見ると、多少の脚色はあるのかもしれません。








古来、中国には文字の読める人が少なかった。娯楽も少ない。民間伝承の日本で言えば浪曲、講談、戯曲の形で伝承された物が『三国志演義』です。日本の『忠臣蔵』を思ってください。史実に必ずも一致しません。したがって『水滸伝演義』『封神演義』など演義と付くものは全てそうで、内容に矛盾があったり、歴史的に可笑しな所があったり、超人やスーパーマンも出てきます。



『三国志正史』は三国時代に王朝という形で成立した呉・蜀・魏のそれぞれの国で書かれた王朝成立、その運営などの歴史書です。勿論、これらも自国に都合の良いように書かれている部分があることも仕方がありません。それぞれの国によってその巻数もかなり異なってきます。

三国志の呉で好きな武将を5人教えて下さい。

三国志の呉で好きな武将を5人教えて下さい。







陸遜、最後にして最強の武将

周瑜、美周郎。彼が病に倒れなければ歴史が変わっていたでしょう。

呂蒙、幼い頃はただの無法者でしたが、後に関羽を倒すほどの名将に。彼も病に倒れなければもう少し歴史が変わっていたでしょう。

黄蓋、赤壁の戦いでは彼の勇猛さがなければ勝てませんでした。

張昭、天才的な軍略家で治世家でありながら、孫権との子供じみたやりとりが何とも憎めません。








魯粛

徐詳

虞翻

周瑜

諸葛瑾

ですかね







北条早雲

北条氏綱

北条氏康

北条氏政

北条氏直







周愉 孫策 陸遜 凌統 周泰 です

特に傷だらけになりながらも孫権を守った 周泰と凌統が好きです







太史慈

甘寧

孫策

陸遜

周瑜

三国志大戦3で、三国志大戦1のカードを使用する事は出来ますか?

三国志大戦3で、三国志大戦1のカードを使用する事は出来ますか?

友人から三国志大戦1のカードをC~SRまで50枚ほど貰ったので折角だからICを買ってゲームを

始めてみようと思ったのですが、1のカードでも3はプレイできるでしょうか?

友人から聞いても、「2でもうやめてしまったからわからない」との事ですので分かる方いましたら是非

ご回答をお願いします。







残念ながら使えません。2のカードも袁・涼・多勢力のカードの多くが3稼働と同時に使えなくなっています。



もし3を始めるなら、ネット通販やカードSHOPで2のR・SRを数枚購入してからゲーセンに行くと良いです。大抵は1枚数百円程度で買えます。



お勧めはR孫権を始めとする呉のカードですね…呉のカードは初心者にも比較的扱いやすく、安価なカードが多いので。

ちなみに3のC・UCのカードやリサボやゴミ箱からある程度調達出来ます。








無理です。



大戦3は2以降のカード(一部は使用不可)しか使えません。

三国志の時代の話で、魏軍が100万人の軍勢で攻めたとかあるようですが、本当に...

三国志の時代の話で、魏軍が100万人の軍勢で攻めたとかあるようですが、本当に100万人も参加していたのですか?







恐らく質問者さんが言ってらっしゃるのは演義の事だと思われます



実際は孫権軍が2万人程度、劉備軍が2千2万人程度

そして曹操軍が15~24万人程度だったと言われています



演義は創作が多いので物語を楽しむだけにしとおいた方が良いです








ありえません

100万人も動員したら1日の食糧だけで莫大な量に及び

いくら魏でも国が崩壊します







実際に当時の人工からして、100万人全員が参加した戦はないと思われます。



実際、三国志演義は読者を楽しませる為に、大袈裟に書いてあったそうですし。







実際には魏が20万強、呉・劉備連合軍が5万程度であったとされています。



中国の戦史において「○万と号する(称する)」場合、大抵は大幅に(何割かは当然のこと、時には数倍にも)水増しするのが普通です。

実際より多くの兵を率いていると宣言することで、相手への心理的負担は大きくなり、うまくいけば戦わずに相手を屈服させることができます。

事実、呉の内部でも開戦直前まで抗戦か降伏か意見がまとまらなかったほどですから。



また、当時の軍は食いはぐれた若者などを次々と吸収し、膨張するのが常ですので、「兵力が多い=勝てそう」と思わせることで新たな参加者も期待できます。







何かの本で読んだんですが赤壁の戦いはせいぜい10万くらいの兵だったそうですよ。

現在の中国から考えると100万くらい簡単に集められるって思われますが三国時代の中国はものすごく人口が少なかったそうです。







本当に参加していたかどうかは、実際のところ曖昧だと思われます。



三国志の話には、史実のものと、作られた歴史のものと2通りの話があります。



史実で書かれている場合は、おおよそ100万人前後と正解に近い数字になっているとは思いますが。



あとは、その時の国力などで算出している場合もあると思われます。

三国志の質問です。あなたは三国志の劇をやる事になりました。 監督が「なんでも好...

三国志の質問です。あなたは三国志の劇をやる事になりました。

監督が「なんでも好きな武将になりきっていい。」

と言いました。 あなたは、何になりきりますか?

本文通りです。

諸葛亮、 司馬懿、 陸遜、 徐庶、 龐統、 蔡瑁、 曹操、 公孫瓚、 華雄、 劉備、 孫権、 呂布、 荀彧、 姜維

沙摩柯、 夏侯惇、 孟獲、 程普、 周瑜、 許褚、 趙雲、 袁紹、 関羽、 張飛、

顔良、 など。



なんでもいいです。



私だったら関羽かな。かっこいいし。







僕は三国志演義しか読んだ事がないので、

演義ならば僕は呉のカンタクですね。



赤壁の戦いで単身漁師に扮し、

曹操陣営に乗り込み、

曹操と舌戦を展開。



劉備が関羽の仇を討たんと呉に攻め入った時、

まだ一書生だった陸遜を総司令官に抜擢すべきだと命をかけて進言。



あそこまでの胆力としたたかに物事を見極める慧眼。

カンタクがいなかったら呉はどうなってたんだろ、と思います。



僕はカンタクがいいですね。

豪放磊落でありながらも本質を見極める目を持ち、

自ら第一線で動く。

人間的に本当に惹かれますから。








曹操ですねあの圧倒的才能は憧れます







昔からの憧れで趙雲かな。

三国志に詳しい方教えてください。 今の上海 南京 北京は三国志でいうと何処の国...

三国志に詳しい方教えてください。

今の上海 南京 北京は三国志でいうと何処の国になるのですか?

それとも当時の都は、全く違う場所ですか?







まず、北京、上海に関しては三国時代(後漢のときも)に都がおかれた場所ではありません。

後漢は洛陽。

魏も洛陽を首都とした。(許昌、鄴も重要拠点)

洛陽は唐・五代ごろまでは中国でも中心的都市だったが、次第に衰退した。

現代では中規模程度の都市。

蜀は成都。この都市は古代から現代まで四川の中心都市。

呉は建業と武昌。

この建業が現在の南京の原型となった。

後漢までは揚州丹陽郡秣陵県というマイナーな都市。

孫権がこの地に石頭城を築いて建業と改名し首都に発展させた。

それ以後も江南の中心都市として現在に至る。

後漢から三国にかけての北京は幽州広陽郡薊県というこの地域の一応中心都市。

劉備の出身地である涿郡の近くであるが、三国時代においては出番のない辺境の地であった。

最終的に魏が領有した。

上海は揚州呉郡に含まれていたようであるが、寒村程度であったと思われる。

それよりも現在の上海市の大半は当時は海中であったと思われる。

海岸線が三国時代当時よりも前進しているため。

一応、呉が領有していたことになる。








南京は別として、上海あたりはたかだかこの百年くらいの歴史しかない都市なんですよ。



中国史の表舞台はほとんど、揚子江以北です。

今の香港あたりなんて、むかしは「南蛮」の地域でした。







上海は呉の一部でしょう。



南京は。呉の(途中からの)首都となった建業が、現在の南京の元(いしずえ)となっています。



北京周辺は、当初は公孫サン(玉偏に賛)の領地で、続いて袁紹の領地となり、魏の曹操の領地となりました。いずれにせよ、北京周辺は田舎で、辺境の地方都市に過ぎなかったようです。



なお。もう少し東に行くと、遼東半島の近辺は公孫(上の公孫サンとは別人、親戚というわけでもなさそう)一族の国「燕」があって、朝鮮半島や日本列島の国々と深い交流を持っていたことが知られています。

分かりやすく三国志のことを説明してもらいませんか?

分かりやすく三国志のことを説明してもらいませんか?







時は西暦200年頃の中国、

後漢末期から西晋が再び再統一するまでの、

長江の北側を本拠とする最大勢力「魏」の「曹操」、

南側の海寄り「呉」の「孫権」、

南側の山側「蜀」の「劉備」、

蜀の軍師「諸葛亮」の4人と、

それを取り巻く魅力的な人物達の、

栄枯盛衰の物語です。



曹操は、魏の礎を築いた後亡くなり、

息子が初代皇帝として「魏帝国」を開き、

劉備は、魏帝国に対抗して「蜀初代皇帝」となった後亡くなり、

孫権も、「呉初代皇帝」となり亡くなります。

諸葛亮は、劉備の死後、劉備の息子を支えながら、

国力の最も劣る蜀を守り立てようと、魏との争いを続けますが、

力尽き、陣中で病死します。



諸葛亮死後、蜀は衰退を続け、魏に敗退し滅亡します。

魏は、重臣であった司馬一族のクーデターによって、西晋へと変貌します。

最後に残った呉は、西晋に攻め込まれ滅亡し、

三国時代は終焉、西晋が約60年ぶりに中国を再統一しました。








1800年前の中国、今の乱れた世を建て直そうと、草鞋売りの劉さん(劉備)、浪人の関さん(関羽)、肉屋の張さん(張飛)の三人が立ち上がります。



乱れた天下は、色々な英雄が現れ、紆余曲折を経ますが、智謀と人材登用にすぐれた曹操がそのすぐれた手腕で他の群雄に打ち勝ち、中国の北半分を統一します。



一方、例の三人組は、なかなかうだつが上がらなかったのですが、「諸葛亮(孔明)という男を家臣にすれば天下を取れるだろう」と教えられ、隠遁していた諸葛亮の家に何回も訪問してついに家臣にします。



天下統一目前の英雄・曹操を倒すため、諸葛亮のすすめで中国南部のもう一人の英雄・孫権と同盟した劉さんは、軍師となった諸葛亮の智謀と、関さん、張さん、新たに仲間になった趙雲などの武勇によって、赤壁(=レッドクリフ)で曹操を打ち破ります。



諸葛亮という智謀の士を得た劉さんは、その後荊州、益州(今の四川省)の二州を取り、かくて天下は北の曹操、南の孫権、西の劉備に三分されます。それが魏、呉、蜀(漢)の三国となっていきます。劉さんは蜀の皇帝に即位。諸葛亮は丞相(総理大臣)になります。



さあ、そのあと劉さんたちの運命は?諸葛亮が智謀の限りを尽くした魏への北伐は成功するのでしょうか?そして立ちはだかる魏の名将・司馬懿とは?そして、三国でついに勝ち残ったのはどこなのか???



後は本で読んでね!。吉川英治の『三国志』をお勧めします。







簡単に言えば後漢が宦官の専横により崩壊しはじめて群雄割拠してその中で曹操が頭角を現し大敵を滅ぼしていきますが途中の大戦で負けて劉備の建国した蜀孫権が建国した呉曹操が建国した魏に分かれていきますまず蜀が魏に滅ぼされますがその魏も家臣のクーデターで晋という国にかわります最後まで残っていた呉ですが結局最後の君主が政治をめちゃくちゃにして崩壊して晋に滅ぼされますこんな感じです







まずへんなカルト教団黄巾党が反乱、国がめちゃめちゃに。そして農民出身のリュウビの義勇軍や正規軍が反乱を鎮める。

そしたら今度はトウタクが現われてまたもや国がめちゃめちゃに。そして一時は荊州の刺史テイゲンと養子のリョフがたおすかなとおもったらリョフがセキトバに目がくらんでテイゲンを殺し再び国がめちゃめちゃに。そしてしばらくしたらトウタクもしに、今度はソウソウが台頭する・・とまぁこんな風に国が乱れて最後にシバイ一族がいいとこどりって感じに天下統一!という話です。

なんか書いた自分でも大雑把だな・・







魏=曹操

呉=孫権

蜀=劉備



以上の三国が争った戦国時代の青春大群像^^

義とは?

智とは?

武とは?

みたいなん。







漢王朝が腐敗。黄巾の乱を契機に衰退し、各地で英雄が旗を揚げ、群雄割拠の戦乱の時代となる。



その中で北部で袁紹が、中原で曹操が台頭し、官渡の戦いで激突。

曹操が勝利し、中国の三分の二を勢力下に置いた。



次に曹操が南下し、劉琮を降伏させ、江東で勢力を築いた孫権と対決、赤壁の戦いが起こる。

呉提督の周喩らの活躍により撃退、荊州を取ろうとするも、劉備が両者が戦っている内に荊州を占拠。

劉備と争う時機ではないと判断した孫権は劉備と同盟。



劉備は益州、漢中と奪い、更に荊州から義弟の関羽を出陣させ、曹操と対決するも、呉の裏切り(この時は殆ど同盟は解消されていた)により、関羽は戦死。荊州は呉の手に落ちた。

この報に激怒した劉備は打倒孫権と戦を起こすも(夷陵の戦い)、呉に再び破れ、心労により病死。

劉禅を次の君主と置き、諸葛亮が実質の権限を握った。



諸葛亮は、呉と再び同盟を結び、各地の叛乱を鎮圧。

そして魏(曹操が起こした国)を倒す為に北伐を敢行。

しかし、有能な司令官、国力の面などで劣り、悉く失敗。五丈原で戦没する。

その約三十年後に、魏により蜀は滅亡。



魏ではクーデターが起こり、国号を晋とし、司馬炎が皇帝となる。

その後、孫皓の暴政でぼろぼろとなった呉に晋が侵攻し、呉は滅亡。天下は晋に統一されるが、司馬炎の死後、親族の争いに匈奴等が介入し、五胡十六国時代となった。







約400年(中断あり)続いた約1800年前の古代中国の王朝が、政治腐敗や権力闘争などで統治能力を失い、一応宗教の形を取った民間の反乱を契機に最終的には人口が半数以下に減るという大混乱に至り、王朝権力が没落。

この反乱鎮圧に伴い、ある地方軍閥がどさくさにまぎれて王朝の権力を掌握。

これを契機に群雄割拠し、更に人口を減らしながらも、やがてそのうちの3つの勢力が台頭。王朝が滅亡し、この3つの勢力がそれぞれ王朝をたてて、再統一をはかるが、最も有力な王朝からクーデターが起こり新たな王朝を興し、その王朝が他の二つの王朝を滅亡させて古代中国を60年ぶりに再統一したという、約100年間の史実に基づくお話。







ユーラシア大陸のどっかで昔戦争があったらしいですよ

三国志大戦3のデッキ診断をお願いします。

三国志大戦3のデッキ診断をお願いします。

デッキの中身は、SR甘寧、R孫権、UC周瑜、UC韓当、Cリョウ操の呉単5枚デッキです。

できれば、どのような立ち回りや戦い方をすればいいかなども教えていただけたらうれしいです。

よろしくお願いします。







UC周瑜→UC凌統

C韓当→C潘璋

R孫権は、お好みでC賀斉に変えても大丈夫です

特に号令がなくても、がっちり守ってれば生きていけます 国力3の決起の大号令でも撤退しません



~戦術~

凌操は右側の端攻城、潘璋は真ん中より右側に設置、賀斉はその逆に設置します

甘寧は1体で真ん中から攻めます。 賀斉の近くに凌統は設置します

賀斉の伏兵解除後は、敵の多さで場所を変えます。多いときは自陣、少ないときは敵陣より自陣に近い、出ている敵部隊が0のときは、敵陣の真ん中がベストです!

潘璋の伏兵解除後は、攻城です 邪魔なのがいたら、敵を滅しても大丈夫です

甘寧が城門に張り付いた頃には士気4はたまっているので一気に真ん中に集めて、河賊の粘り発動!

ということが出来るのがベストなのですが、多分一回は甘寧が撤退するので、もしかすると相手の攻城が入るかも知れませんが、気にしないで、攻城した頃にはもう甘寧が復活しているはずなので、乱戦させます

相手が3体撤退したら全員城に入れて完全回復したらまた攻めます 伏兵解除されてなければ、そのままにするか、真ん中に動かすと、相手は必ず真ん中から攻めるので、伏兵踏んで撤退→有利になります

相手は何か計略をしてくるはずですが、こっちには河賊の粘りで対抗してください

あとは頑張って攻城してください 甘寧の計略範囲に部隊は必ず設置してください

甘寧は必ず城門攻城です

軍師陸遜は、再起でも、連環でもどちらでもいいですが、再起のほうが保険としてはいいと思います








ちょっと弓が多すぎる印象はありますが開幕は伏兵と柵で守り、ここで柵は壊されないようなら上出来で、基本的にカウンター狙いですかね。手腕or赤壁後に兵力を温存しやすい弓兵で攻城というのがよいかと。1番は甘寧の兵力を減らさずに攻城に持っていくことですが。

あとは士気差に注意することです。気軽に手腕+粘りを使わずに粘りだけ、または計略なしでで相手の号令を跳ね返せるような試合運びを心掛けて下さい。万全の体制同士での号令対決には負ける可能性が高いです。

三国志について知りたいんですけど…

三国志について知りたいんですけど…

映画「レッドクリフ」を見て、三国志に興味がでました。





孔明や曹操、孫権など人物についてや、戦略とか知りたいです。



わかりやすくて、すぐ飽きないような本があれば教えていただきたいです。

お勧め!というものも是非お願いします。







最初から難しくて学術的な本はお勧めしません。



ぼくも今は学術的な本に手を伸ばしてますが最初はマンガでした。



でもマンガ選びにも注意しなければなりません。



一歩間違えると腐りますから(なんか二次元的な変な気持ち悪い奴)。



では趣旨に戻りますね。



ぼくがお勧めするルートは

①横山三国志



②図解雑学 三国志演義 渡邉 義浩 著



③北川謙三国志



④他の三国志正史の学術的な本





①~②(③)が三国志演義、(③)~④が三国志正史です。

③がかっこなのは作者の独自の視点から描かれた本なので結構内容が変わってるからです。





まず①ですが、ここで三国志にの興味はわくと思います。しかも多少誤差がありますが大体の三国志演義の概要をつかめます。



次に②です。②は三国志演義の文章本の入門本みたいのですね。ぼくも①の次に②を読みました。



次に③ですが。②と③の間に三国志演義の本をたくさん読んどいた方が良いです。ちなみにぼくは②と③の間が数年有りました。

③は独自の視点から三国志を書いているので今までの自分の中の考えが崩れると思います。

ぼくも③を読んだことで孔明好きから曹操好きに変わりました。



③で今までの概念をリセットしたらいよいよ④です。①から④までにぼくは4,5年かかりました。①から②までの時期が短いと④も長続きしないと思います。④からは戦い以外にも細かい政策や個人を詳しく研究したりさらに詳しく三国志を追及します。ここでは完全に①~②の考えはなくなってると思います。







以上が大まかな流れです(ぼくがお勧めする)。

これを見ると①~②が無駄だと感じるかもしれませんが①~②がとても大切なのです。①~②は三国志演義なのであくまでも「楽しさ」を追及します。なので興味を持たせ自分を三国志好きにするためにとても大切なのです。

③は三国志演義から三国志正史への移行に必要です。①~②で長年積み上げた固定概念を覆す事が出来て新たな三国志正史に臨む事が出来ます。

④はかなり難しい事などが多いです。①~②の時期が少ないと絶対に維持できません。



つまり、

「①~②の三国志演義で興味を持ち自分を三国志好きにして、③で三国志正史への転換を図って④で本格的な三国正史を勉強する。」

という事です。三国志に興味を持っていれば④は永遠に続きますからね。





ではいくつか本を紹介します。

①~②→「三国志 諸葛孔明99の謎」

http://www.amazon.co.jp/%E4%B8%89%E5%9B%BD%E5%BF%97-%E8%AB%B8%E8%91...



②~④→三国志 上巻 (歴史群像シリーズ 17)、下巻

上巻のURL↓

http://www.amazon.co.jp/%E4%B8%89%E5%9B%BD%E5%BF%97-%E4%B8%8A%E5%B7...



少ないですがこれくらいです。

あなたは今三国志演義を読むべきだと思います。そのくらいの時期だとまだ「いい本」「悪い本」があまりないので目にとまった読みやすい本を読めば良いと思います。その中でもお勧めなのが「図解雑学 三国志演義」という事です。

後注意する点とすればあまりにもビジュアル化されている者はあまりも進めしません。ビジュアル化されている本(英雄全員がCGのようなもので描かれており文が少ない。またみんなイケメンだったりしたら最悪)はお勧めしません。途中で脱線する可能性が高いです。

↓こんな感じの本

http://www.amazon.co.jp/gp/product/4569708226/ref=pd_lpo_k2_dp_sr_2...








ビッグコミックスペリオールに連載されている、「覇 LORD 超三国志」もいいですよ。



史実を結構崩して虚構してますが、面白いです。







壮大な物語であるため、短く簡潔で面白いものがなかなかありません。

多くの作品が三国志演技をベースとしており、

「劉備玄徳」を最初の主人公として描いています。



マンガで入るのが一番わかりやすいと思いますが、

横山光輝「三国志」・・・巻数が多いので読破するのも大変ですが、三国志演技に最も近いマンガです。

吉川英治「三国志」・・・上の原作とも言える小説です。



その他お勧めでは

王欣太「蒼天航路」・・・曹操を主人公としたマンガです。



あとは宮城谷 昌光、陳 舜臣、北方謙三などが三国志の小説を出しています。



あとは図解雑学シリーズの「三国志」「三国志演義」ですかね。

これは両方読み比べてみることをお勧めします。

新紀元社のF-FILESシリーズ「三国志」はお勧めしません。

「三国志」と「項羽と劉邦」

「三国志」と「項羽と劉邦」

横山光輝の「三国志」と「項羽と劉邦」は、

どちらの方が歴史が古いのですか?

それぞれの時代を教えてください。







「項羽と劉邦」の方が古い時代です。



項羽・劉邦が活躍したのは「秦」~「漢」にかけて、紀元前206年~同202年頃です。



三国志は「後漢」末期~「三国」時代にかけて、180年~280年頃です。



項羽 紀元前232年~同202年

劉邦 紀元前256年(不明)~同195年

劉備 161年~223年

曹操 155年~220年

孫権 182年~252年








「項羽と劉邦」の方が古いです。

漫画の「項羽と劉邦」の話は秦の始皇帝が亡くなり、劉邦が「漢」を造るまでの物語です。

そして「三国志」はその「漢」が滅びようとしている所から始まり、滅びてしまった「漢」を再興しようと劉邦の末裔である(実際の正否はわからないが)劉備が蜀を造り、蜀が滅びてしまったまでの物語です。

これは余談ですが、「漢」が造られてから「漢」が滅びるまで約400年くらいが経っていて漢も1度は滅びそうになっているので「前漢」「後漢」と分かれている。







『項羽と劉邦』は、漢が始まる時代の話です。

その頃の日本は弥生時代で、まだ歴史に名を残す人は居ません。



『三国志』は、劉邦が興した漢が滅びる時代の話です(滅びてからの方が主体ですけど)。

その頃の日本には邪馬台国があって、卑弥呼が使者を送ったのは三国の一つ「魏」です。







「項羽と劉邦」の時代が古いです。



「項羽と劉邦」は、「秦」末期から「前漢」成立までの話で、紀元前250年~紀元前195年までを漫画化しています。

内容は、司馬遷の「史記」内の「項羽本記」と「高祖本記」を混ぜたものです。





「三国志」は、「三国志演義」内の「後漢」末期~「蜀」滅亡までの話で、紀元220年頃~紀元280年頃までを漫画化しています。

内容は、「三国志演技」からいくつかのエピソードをカットして描かれています。







「項羽と劉邦」(前漢)の方が断然古いです。

「三国志」は魏・呉・蜀三国時代です。

三国志について質問です。呉の軍師陸遜は245年で死にましたが、死因はなんです...

三国志について質問です。呉の軍師陸遜は245年で死にましたが、死因はなんですか?







二宮の変で憤死したとのことですので、病死になりますね。



「憤死」とは、「憤慨のあまり亡くなること」の意味であり、主に脳溢血や心臓病などが考えられます。



ある意味「死因」は、呉王・孫権が、後継者問題で問題を先送りするなど優柔不断な対応しかできず、国内を二分させただけでなく、陸遜に敵対する楊竺ら孫覇派の讒言を受けて、無実の功臣・陸遜に問責の使者を送るなど長年の貢献を踏みにじるような対応をしたことによるのではないかと思います。








陸遜は齢63で亡くなっています。他の回答者さんのおっしゃるとおり、孫権の後継者問題で正論を説けば解くほど疎まれ、孫権から問責の使者を遣わされ、おそらく文書を読み上げたか、あるいは伝えられたかしているうちに、神経が昂ぶり発作か何かを生じて亡くなったのでしょう。高齢でしたから。







憤死とされています

要は心労が祟って死んだということですね



孫権の後継者争いに口出ししたことを妬まれ、

陸遜は免官された挙句孫権に詰問の使者を幾度となく送られ、

憤り(心労)のあまり体調を崩してそのまま死亡したのです

簡単に言えば病死ですが、単純な病ではなく上記の経緯があります



ちなみに、演義では彼の死はカットされてます







たしか病死だったような…。

三国志大戦3のデッキ診断をお願いします。 今まで蜀でプレイしていましたが、今日のプレイ...

三国志大戦3のデッキ診断をお願いします。

今まで蜀でプレイしていましたが、今日のプレイでR周瑜とR孫権を手に入れたので、呉に乗り換えてみようと思います。




R周瑜・R孫権・UC張紘・C董襲・UCリョウ統・軍師C魯粛です。

軍師はC張昭と迷ったのですが、手腕メインなので魯粛を選びました。

あと、C董襲とUC黄蓋はこのデッキの場合だと、どちらが良いでしょうか?



よろしくお願いします。







正直現在R周瑜はそこまで必要性を感じません。

武力インフレの中2コスト武力6かつ弓兵、計略も全体的な知力上昇と計略そのもののダメージ低下でかなり厳しい状況です。

所持カードにはありませんがR太史慈の方がよほど強いでしょう。

また、現在のデッキでは呉のオーソドックスなデッキと弓兵同士が打ち合った場合まず負けるのでそれを何とかするために、周瑜を太史慈に董襲を朱桓に変えるのが一般的で且つ勝率も上がると思います。



軍師は手に入るなら陸遜の方がいいですね。「知勇兼陣」も捨てがたいのですが、魯粛は同名の武将がおり、かついろいろと悪さできるカードなので、成長させるなら陸孫の方がいいです。



どうしても現在の型を崩したくない、太史慈は手に入らないというのでしたら相当な苦戦を覚悟してください。

呉は全勢力中もっとも計略依存の強い国なので「いつ、どこで、だれが、どの」計略を使うのか適切な判断をしないとまず勝てないでしょう。





ちなみに董襲と黄蓋では基本的に董襲の方が上だと思いますが、黄蓋は残り10Cまでは殆ど攻めず、完全防御に徹して計略で一発もぎ取って勝利・・・というデッキを作りたいなら選択肢になります。

そうでないならそうでないなら前述の通り計略依存の強い国で士気5は軽々しく捻出できない、と理解しておいてください。








私はあまり呉軍は使わないですがバランスは悪くないかと。



ただ馬が欲しいですかね、弓兵の武力が低いので麻痺矢デッキやR太史慈入り手腕など弓兵の武力が高い相手が辛いですね。



騎兵スキルがあるならUCリョウ統をSR孫策に、無いならC董襲をC祖茂にすると良いかと思います。



オススメはC祖茂ですかね手腕で攻める時などに召喚して号令すればかなり頼もしいです。



私から言えるのは以上ですかね、参考になれば良いのですが。

(呉軍を使うなら召喚タイプの計略を一枚は入れるべきです)

三国志についての質問 統率力、武力、知力、政治力、人望、貴方が考えるトップ3を...

三国志についての質問

統率力、武力、知力、政治力、人望、貴方が考えるトップ3を教えて下さい!




史実ではリアルな話になってしまうので三国志演技からの活躍からの分析で構いません!





私の考え



統率力

1位張遼

2位司馬慰

3位トウガイ



武力

1位呂布

2位張飛

3位馬超



知力

1位諸葛孔明

2位郭嘉

3位カク



政治力

1位諸葛孔明

2位張昭

3位荘宛



人望

1位劉備

2位孫権

3位洋コ





こんな感じでお願いします。







統率

1、司馬懿

2、曹操

3、陸遜



知力

1、郭嘉

2、賈詡

3、司馬懿



武力

1、呂布

2、張飛

3、馬超



政治力

1、諸葛亮

2、荀彧

3、張昭



人望

1、劉備

2、周瑜

3、曹操








統率

1、孔明

2、曹操

3、仲達

武力

1、呂布

2、張飛

3、関羽

知力

1、孔明

2、仲達

3、周喩

政治力

1、曹操

2、孔明

3、張昭

人望

1、曹操

2、劉備

3、孫権







統率

1、曹操

2、陸遜

3、呂蒙



知力

1、郭嘉

2、荀イク

3、賈ク



武力

1、呂布

2、許チョ

3、典韋



政治力

1、諸葛亮

2、張昭

3、費イ



人望

1、劉備

2、諸葛亮

3、周瑜



好みになってしまいますね。



【番外】

義理

1、徐庶

2、張任

3、審配



ルックス

1、周瑜

2、荀イク

3、馬超









姜維でいいんじゃないでしょうか

三国志で好きなキャラは誰ですか?

三国志で好きなキャラは誰ですか?

私はやはり「最強」の曹操でしょうか。



知力・武力・財力・統率力・人望、以上申し分ナッシングぅ~。



あ、最後の人望はちょっと欠けるかな。







魯粛なんです。地味ですか?

呉の孫権に(諸葛孔明に会う前に)天下三分の計を提案し、赤壁の戦いをお膳立てし、曹操からも劉備からも呉を守った人です。



でも、私が魯粛が気になってしかたない理由は、横山光輝版の三国志を、雑誌連載進行中の途中から読んだからなのです。初めて買った号は、魯粛が孔明を呉に連れてきて孫権に面会を勧める場面だったものですから。








小喬・大喬・孫尚香・星彩・関平です♪(三國志というか無双・・?)







ボスにするなら、曹操

右腕にするなら、孔明(演義バージョン)

護衛に使うなら、周泰

友人にするなら、陸遜

女の子なら、弓腰姫(孫仁、もしくは孫尚香)





番外



遠くから眺めているだけなら、奉先様







きょうい、関羽、馬超、孔明、太史滋、紳助竜介です。







私は、曹操ですね。

曹操の政治・軍事にわたる実績は言うまでありませんが、魏は文学を重んじた国であり、彼自身がその文学の中心となっております。また、「人望はちょっと欠ける」と言われましたが、人望を欠くような人物が、実力で、群雄割拠の中国の半ばを平定することはできないと思います。



次に趙雲ですね。

関羽や馬超とは違い、万単位の大軍を率いたことがないので、実際はどうであったのかはわかりませんけど、識見、才能は、いわゆる五虎将軍のなかで随一ではないかと思います。



その次に、張コウ(魏)、張遼、孫策あたりが続くかな。







禰衡(字正平)と孔融(字文挙)のコンビでしょう。







超雲です

(≧∇≦)ノ彡 バンバン







趙雲ですね。

自分自信好きな理由がよく分からないんですけどね^^;

三国志時代の料理って現在でもある料理だったりするのでしょうか?

三国志時代の料理って現在でもある料理だったりするのでしょうか?

お酒もどんなお酒だったのでしょうか?







三国時代とほぼ同時期といっていい後漢時代の豪族の墳墓には、

権力誇示のために、宴会の風景がしばしば壁画に描かれていますが、

それらから当時の宴会の様子を読み取ると、



客席はイグサやガマ、竹の皮なので編んだ筵を敷いて設けました。

上等な席は、周囲が錦織で縁取られ、

各自の前に個人用の「食案」(小机)が置かれ、

酒やご馳走が振舞われたようです。



宴席の中央には、多数の食器がおくことの出来る「大食案」が置かれ、

給仕が付いて、食べ物を取り分け客に勧めたようです。



一番のご馳走は「肉スープ」。

『羹(あつもの)』と呼ばれるものです。

肉は「牛」が尊ばれ、羊、狗(いぬ)がこれに続きました。

鶏や豚は、どちらかといえば庶民の食べ物だったみたいですが、

漢中期には豚の品種改良が進み、狗の値段を超えたといわれています。



他には、

鮒や鯉などの淡水魚、

雉、雁、鴨、鶴、鶉などの野鳥、

瓜、筍、蓮根、芋、茗荷などの野菜の煮付け、

デザートに、棗、梨、梅などが添えられていたと考えられています。



スープは、鼎(かなえ)といわれる三本足の大鍋で煮られ、

塩、醤油、糖、麹味噌、乾納豆などで味付けされていたといわれます。



主人の席は、奥に設けられ、

榻(とう)という高座の中央に正座して客を迎えました。



当時の酒には、

斉(いわゆる神酒)、

酒(一般的に飲まれていた酒)、

漿(穀物の粉を溶いた水を発酵)の3種類があったといいます。



斉には、高級順に、泛斉.醴斉.(央の下に皿)斉.(糸是)斉.沈斉

酒には、高級順に、事酒.昔酒.清酒、の種類があったとされます。

普段は、先の回答者さんも仰っているように、

アルコール度数の低いと思われる「漿(上澄のような白濁酒)」

を飲んでいたと推測されます。



また呉には、周の時代に初めて酒(杜康酒)を作ったといわれる「杜康」が、

かの地に移り住み、焼け焦げの米飯で作った酒(黒杜酒)があったといいます。

口当り良く、香りを放つ銘酒は、水稲による大米を産す呉ならではといいます。

大米は栄養価地が高く、ことにもち米が優秀です。

江南の水質も醇であり酒造に適しているそうです。



「孫権」やその弟「孫翊」が、三国志いちにを争う酒豪(酒乱)というのも、

呉という土地柄が関係しているのでしょうかね。



酒を客に勧めるときは、口の広い三足の尊(そん)に移し、

勺ですくって酒盃に注ぎました。

酒盃は両側に出っ張りの付いた楕円形の耳杯(じはい)がよく使われ、

酒を温める時は、急須に三足がついた煮沸器を用いたようです。



酒はオウ(公の下に瓦)と呼ばれる大甕で貯えられ、素焼きの陶器で、

300ℓを貯蔵できるものもあったとされます。

今日の酒ビンに該当する鐘(しょう)という

首の細い蓋付きの壺もあったみたいです。



有力者の庭には、梅園や桃園などがあり、

今で言う東屋のような休憩所があり、

テーブルと椅子が設けられていたみたいです。

曹操と劉備が、世の中のの英傑を語り合ったのも、こういう処だったのでしょうね。



ちなみに、

中国料理の最初の体系は、3千年前の商朝に形成されたとされます。

「商朝のスープ王」と呼ばれた宰相「伊尹」は中国料理の祖ともいわれ、

世界でもっとも早い料理論といわれる「呂氏春秋・本味篇」には、

彼の料理に対する卓抜した見解をうかがうことができます。

伊尹はその著書のなかで、

材料の選択、味加減、火加減の把握から調理割烹芸術、

および食品の栄養衛生面に至るまで詳細で的を射た論述を展開しています。



もうひとつ、

日本でいわれる中国四大料理は、北京.上海.四川.広東ですが、

本場中国では、四大菜系ともいわれ

【四大料理(菜系)】

魯(山東:ルーツアイ)川(四川:チュアンツアイ)

揚(揚州(江蘇):スーツアイ)粤(広東:ユエツアイ)。

【八大料理(菜系)】

四大料理に、湘(湖南)ミン(福建)徽(安徽)浙(浙江)の料理を加えたもの。

【十大料理(菜系)】

八大料理に、北京、上海料理を加えたもの。

とされる場合が多いそうです。








一般的な食物だと「饅頭」ではないでしょうか。

逸話ですが、蜀の南蛮征伐で降伏した孟獲が、蜀軍を見送る際、渡河する予定の川が荒れていたので、習わしに従って川に人首を捧げようとしました。それを聞いた諸葛亮が「むやみな殺生はよくない」と諌め、人首の代わりに食物を人首状に見立て、川の神に捧げました。

これが饅頭の由来とされているそうです。







料理は何とも言えませんが、曹植の詩だったかの一節に確か

料理に関する記述があったと思います。それを参考にすれば、

ある程度どんなものが食されていたか分かるかもしれません。



お酒にかんしては先に書かれた方のおっしゃる通りなのですが、

それ以外に曹操が面白い酒の醸造方法がある、と言うことで

その醸造法を記録し、上奏しています。



この醸造法、実は現在の日本酒の作り方とよく似ているらしく、

ある意味では日本酒の祖とも言えるかもしれませんね。







料理は現在もあると思います、特に蜀(漢)の地方は四川料理なので辛いものが多い。

お酒に関しては醸造酒が多く蒸留する工程も上手くないので、アルコール度数はかなり低い(現在のノンアルコール飲料に近い)、そのため甕いっぱい呑んだりする記述も多いのです。

三国志で有名なシーンだという「赤壁の戦い」は水上戦ですか?

三国志で有名なシーンだという「赤壁の戦い」は水上戦ですか?







まずは,黄蓋による船団焼き討ち→その後の孫権・劉備軍による追撃戦までとなるので水上戦→陸上戦ということになります。

三国志大戦天の第3章_2が攻略できません!!! カードは、SR曹操・SR劉備・...

三国志大戦天の第3章_2が攻略できません!!!

カードは、SR曹操・SR劉備・SR孔明など...

軍師は周喩以外全て、デス

回答お願いします!!!

ちなみに、wifiでは、R大喬・R孫権・c R周奏・uc魚粛・uc呂範・uc虞翻で軍師は15Lvの陸遜です

これは、どうなんですかね???







他の方もおっしゃるように、誤字が多いのはもう気にしないが、



===カードは、SR曹操・SR劉備・SR孔明など...

軍師は周喩以外全て、デス

回答お願いします!!! ===





↑正直これでは何が聞きたいのかさっぱりわかりませんよ。

カードは、SR曹操・SR劉備・SR孔明など だから?何が?

軍師は周喩以外全て 「持っている」のか「LVMAX」なのか。



貴方が解っていても、相手に理解できるように書き込まないと互いに困りますよ…





wifiについては、相手がSR呂布を使用した時点で壊滅状態になる恐れがありますね…

いっそのこと

R大喬をUC諸葛キンにして、

軍師を呂蒙にして 遠弓 にしてみては?








細かいツッコミかも知れないがもう一方も指摘しているように誤字が多い

周「瑜」もそう

呂範と虞翻もUCではなくCだし

その辺り一致しないと苦労するのでないだろうか

AC版でもそれに加え計略効果や範囲など知っておかないと間違いなく伸び悩む







とりあえず、第三章-2については↓を参照して下さい。

http://www33.atwiki.jp/taisendsten/pages/33.html



デッキですが、正直難しいですね。

弓多いから楽ですが、全員の武力が低めなので、

普通に押しつぶされます。

軍師は陸遜よりも周愉が良いかと。

後、周「泰」と「魯」粛です。

三国志大戦3デッキ 周泰を使ってデッキを作りたいのですが、 知識不足なので上...

三国志大戦3デッキ





周泰を使ってデッキを作りたいのですが、

知識不足なので上手く作れません。

資金には問題ないので、デッキに使うカードと、

それの応用方法を教えてください。







よくある呉バラなら周泰、R太史慈、R孫権、朱桓、張紘

軍師は周瑜や陸遜、魯粛で好きなものを。

周泰は器用貧乏の感じがあるので計略も過信しないようにして下さい。効果時間は6.5C程、槍兵なんで移動速度が遅いことも念頭に。使うタイミングを間違えると無駄死になるので注意して下さい。

三国志の中で好きな武将は??そして好きな戦いは??好きな国は??なんでもかま...

三国志の中で好きな武将は??そして好きな戦いは??好きな国は??なんでもかまいません!!三国志好きの皆さん集まれ!!







好きな武将はいっぱいいますが、あえて、ベタなところで、「関羽」。

一人の武将の死で、呉にも蜀にも魏にも、三国全部に激震が走ったのは凄過ぎです。



好きな戦いは、官渡の戦い。

赤壁の戦いは、勝った孫権(と劉備)がその後の天下を取れなかったから、

真の天下分け目の戦いではなかった。

三国志最大の天下分け目の戦いは、官渡の戦いだと思います。

もし、万が一袁紹が勝利してたら、その後の歴史はどんな展開になっていたのか。。。

想像膨らますと、興味は尽きません。



そして、好きな国は、三国の中なら「魏」です。

演義の主役「蜀」は、国としての機能はあまりにも危うすぎました。

孔明死後、それは現実のものとなります。

三国が形成される前なら、小覇王・孫策時代の「呉」が好きです。








好きな武将は孫堅で理由はこの人が長生きすれば大きく歴史が変わったと思えるからです



好きな戦いは官渡の戦いです理由は袁紹の無能がよくわかるからです



好きな国は呉です理由は目立たないけど蜀や魏との大戦にも勝利してと優れた人物が多くてなんだかんだで蜀や魏よりも長く存続していたからです







曹操が好きで、魏も好きです。一番好きな戦は官渡の戦いです。

普通ありえないですよ、劉備は裏切るわ、孫策は攻めてくるわで、まず官渡の戦いの状況を作るまでが凄すぎです。

やはり外交が一番活躍した戦でしょう。赤壁の戦いは、一筋縄で通ると言えば、通りますよね。曹操は良いですよ。







好きな武将は劉備と諸葛亮です。



戦いでは諸葛亮生涯の最期の戦いとなった「五丈原の戦い」です。諸葛亮は陣没し蜀軍は撤退してしまいますが、その見事な退却ぶりは敵の司馬懿すらも諸葛亮の事を「天下の奇才だった」と言わしめています。



好きな国は蜀ですね。







。。。。。。。。。。呂布。

三国志の「魏、呉、蜀」の最盛期は、それぞれいつ頃だったと思われますか?

三国志の「魏、呉、蜀」の最盛期は、それぞれいつ頃だったと思われますか?







魏としてなら、蜀を滅ぼした頃。それ以前でいいなら曹操が頑張ってた頃

蜀は劉備が即位した頃か漢中王の頃。呉の遠征から落ち目になる。

呉は孫権がリーダーだった頃で晩年以外。

三国志演義で過大評価なのは、諸葛亮、関羽、趙雲、姜維あたりですか?

三国志演義で過大評価なのは、諸葛亮、関羽、趙雲、姜維あたりですか?

下記サイトでは

http://1st.geocities.jp/nub3594/kadai.html



1関羽

2姜維

3諸葛亮

4孫権

5劉備

6夏侯惇

7趙雲

8陶謙

9太史慈

10公孫瓉







失礼ですが、それは評価なのかな・・・?と

首を傾げたくなるようなちぐはぐな文章ですね・・・。



まず、関羽に至っては、三国演義と正史の記述の差ではなく

どちらにも書かれている、荊州の失敗を取り上げているため

どこがどう三国演義での過大評価と思えるのか?という

基本の部分がクローズアップされていません。

関羽の失敗談を叩いてるですよ。これでは評価とは言えませんね。



姜維や諸葛亮にしても、叩いた後に褒めているため

結局、このサイトの方も彼らを評価してるんじゃないでしょうか?



劉備や孫権に対しては、ダメな部分のみを取り上げてるだけの

罵詈雑言塗れで見るに耐えません。



更に陳寿さえも槍玉に挙げて、三国志正史の著者に対して



「正史」とは「正しい歴史」の意ではない。

この人の妄想がどれだけ入っていることやら…



などと書かれてしまっては、三国演義で過大評価されているという

基本テーマすら崩壊しているのでは・・・





真摯な気持ちで三国志の歴史を愛好し、物語として改変を

余儀なくされてしまった歴史書の記述のままにその人物の事を

伝えたい。

という思いは素晴らしいものだと思いますが、あまり「馬鹿」などという

あからさまな侮蔑であったりする言葉を乱用する人に人物評などは

下して欲しくないものですね。








ほとんど過大評価ですよね。演義では。

順位づけは難しいです。ただ過小評価されているのは、以外と劉禅かも?

彼って魏の滅亡も生きて目の当りにしてるんですよね。それって結構面白くないですか?したたかですよね。







あー( ̄∀ ̄;

そのサイト主さんは、おそらく正史『三國志』を直接読んだ事がないのではないかと思います。それほど、書かれている文章には正史と演義の混同が見られます。おそらく他人の書いたもの(サイトや本など)しか読んでないのでしょう。

「このランキング・文章には筆者の独善的な考えが多々含まれています」と最初に注記してはいますが、独善的を通り越して誤解と偏見だと切り捨ててもよいぐらいですね。



『三国志演義』で過大評価の傾向があるのは、主に「劉備陣営もしくは蜀に味方したり忠誠を誓った人物」である場合です。劉備陣営の主な面々はもちろん、陶謙や公孫サン[王贊]などがそう。過大評価というか好意的評価と言ってもいいかも知れません。

もちろん、普通に評価しても充分すぎる人々はそのままです。最大の好例が関羽。

逆に、劉備陣営に敵対あるいは否定的な人々の大半は過小評価ですね。曹操はじめ魏軍諸将はもちろん、周瑜や呂蒙などの一部の呉将や、魏延や孟達などの蜀を裏切った人々などがそう。



「敵なのに過大評価」っていう人もいますよ。最大の好例が呂布。まあこれは「強大な敵がいなきゃ話が盛り上がらない」からですが(笑)。



あと、「どっちでもない人」が相当数います。正史とあまり変わらない評価をされてる人々。

孫権などはこれでしょうが、敵である張遼や司馬懿、陸遜などもここに入ります。まあ張遼は関羽と仲良しで劉備陣営とは直接対決してませんし、陸遜や司馬懿は過小評価すると夷陵や北伐の敗戦が納得できなくなりますが(^_^;

「どっちか分からない人」もいます。例えば魯粛は一概に過大評価とも過小評価とも言えません。



結局、正史『三國志』も小説『三国志演義』もそう簡単には読解できないのです。どちらも深く深く読み込まなければ作者(陳寿と羅貫中)の真意には辿り着けないとお考え下さい。







演確かに諸葛亮、関羽、趙雲、姜維らは演義では過大評価されすぎで、それはそのサイトの言うとおりです。でも、そのサイトにもある通り、彼らにも評価すべき点はあります。趙雲も地味ですが定軍山の戦いでは見事に黄忠の救出や撤退戦では見事な立ち回りを見せています。





蛇足ですが

太史慈

赤壁の戦いの前に死んだことを過大評価の理由にするのはどうかと思います。太史慈は劉表からの侵攻を何度も防ぎ、黄祖との戦いでも活躍しているなど、呉での太史慈の功績は非常に大きいと思います。ただ太史慈には赤壁の戦いの様な大きな戦に参加する機会が無かっただけです。しかし、そもそも別に太史慈はそこまで評価されているというわけではありませんが。





陶謙

陶謙の記事の最後に「・・・という説もある。」と書いている様に、この話は魏書「陶謙伝」にのっとった話です。しかもこの魏書「陶謙伝」は魏が徐州での悪評をあんじて、自分たちに非が無いよう陶謙を悪く書かせたという話もあるほどです。それに、呉書では陶謙のことを名君として評価していますし、陶謙は王郎を使って会稽を太守にさせるなどして政治的に勢力を広げるなど、陶謙には有能な面もあります。でも、いずれにせよ陶謙はそこまで評価はされてはいません。





孫権

確かに孫権は酒癖が悪く、晩年も大いに汚点を残しましたが、孫権はとても有能で、部下の意見をよく聞き入れ部下をうまく使い、魏や蜀との駆け引きにも臨機応変に対応し、呉と部下をうまくまとめあげるなど孫権の功績は大きいので、過大評価と言うのはいささか言い過ぎかと思います。でも決してとは良かったとは言えません。







呂布あたりも過大な気がしますね

まぁ主役やライバル補正は当然あると思います

三国志の魯粛はどこが優れているのですか? 横山先生の三国志ではお茶目な人で、孔...

三国志の魯粛はどこが優れているのですか?

横山先生の三国志ではお茶目な人で、孔明とかに手玉に取られ

挙句の果てに荊州も取り返せませんでした。

でも僕は魯粛は結構好きなのです(性格とか)

しかしいまいち能力がわかりません

まぁ呉で周喩の後継者に選ばれているのですごいことはよくわかります



あと周喩の漢字あってますよね?







詳しく知りたければ正史の魯粛像を調べてみることです。端的に言えば孫権に進むべき道を示し、赤壁以後はいつ破綻してもおかしくなかった孫権-劉備の同盟関係を保ち続けた人物です。

お茶目…ではあるかもしれませんが(色んな意味でねw)、横山三国志のようにお人好しでも利用されてばっかの能無しでもありません。結構腹黒い面も多く劉備らを利用することで呉の安全を保とうと考えていました。



あと「周瑜」ですね。惜しいw








魯粛の優れている点は、まず第一におおらかさ。度量の広さも言えます。まだ孫権につかえていないころには、兵糧の不足に悩んでいた周瑜に、家の蔵を建物ごと1個プレゼントした、というお話があり、これによって周瑜は孫権への推挙を決定したといわれています。

第2に、先の人たちもおっしゃっていることですが、遠大かつ長期的な作戦を立てることのできる戦略眼を持っていたことです。関羽を殺し、荊州を奪うなど、蜀を叩きのめすことにこだわったのちの呂蒙と比べて、魯粛の考え方は呉のみが大きくなることではなく、呉蜀2国の関係を保ち大国魏に対抗しうる国力の増加を図るものでした。諸葛亮の天下三分の計とにていますね。

ですから都督になったあとの魯粛は、諸葛謹とともにもっぱら蜀との関係の円滑化に努めています。荊州の返還を半分にしたのもそういう考え方があったからでしょう。また、孫権の性格のせいとも言われていますが、呉は終始長江の沿岸という地理的な条件を生かし、内政に力を入れ続けていました。このことからも魯粛の考え方が大陸の覇権を握ることではなく、対外的な国防力を身に着けたうえでの国造り、一言でいうと富国強兵を達成することであるというのがうかがえます。

以上の二つが僕の考える魯粛像で、優れた点であると思います。

最後になりましたが、周瑜、です。ややこしいですよね(笑)







魯粛に関して言えば正史と演技で180度ベクトルの違う人物像をしていますのである詳しく書こうとすると長くなるのである程度までは・・・



まず魯粛の優れているところですがまず天下を見渡すことのできる戦略眼を持っていたというところでしょうか

「天下三分」といえば諸葛亮が有名ですが魯粛も孫権に対し孫呉の天下統一のための手段として建策しています

また肝の据わった人で赤壁の戦いのまえに孫権に「私は土地の名士ですから曹魏でも重用されるでしょうがあなたはそんなことはありません」というようなニュアンスのことを孫権本人に対して言っています

一貫して冷静なかつ剛胆な現実主義者のような感じでえがかれていますね



また荊州ですが取り返せなかったではなく取り返さなかったというほうが正しいと思います

この単刀赴会ですが演技では魯粛は関羽におどされお情けのような感じで荊州の半分を渡してもらっていますが正史のほうでは魯粛は舌三寸を持って関羽を一喝し荊州の半分を取り戻しています

ではなぜ半分だけなのかということですがこの時点の劉備はまだ入蜀をはたしたばかりであり基盤もまだまだ脆弱でした

また、劉備陣営を支えていた将兵たちは基本荊州の名士たちがおも(たとえば馬氏など)でした

この状態で劉備が荊州をすべて失うことは=劉備陣営の崩壊を招く可能性が高くそれは天下三分の形をつくりさらにそこからの漁夫の利を狙っていた魯粛にとってはあまりよりろしくない

しかしこのまま荊州を取られ続けるのも孫権の名目上あまりよろしくない

そのなかでの落とし所が荊州の半分返還だったのだと私は考えています



質問とは関係ありませんがなぜ正史と演技でこのような違いがうまれたのかということですが魯粛の立ち位置が関係していると思います

正史で魯粛は天下三分のため劉備を利用していることになります

しかし劉備(蜀)が主人公の演技ではこの状態はまずいということで魯粛に性格補正でもはいったんでしょうね



まあどちらにしても味のある人物だと思います





あと「周瑜」ですね

喩のほうが少し違います

三国志演義のことでお聞きしたいことがあります。 私はゲーム真・三國無双シリー...

三国志演義のことでお聞きしたいことがあります。



私はゲーム真・三國無双シリーズで三国志を知りました。

演義や正史を読んだことはありません。



そこで聞きたいことなのですが

ゲームでは五丈原の戦いが最後となっており

その後の蜀滅亡や晋誕生などの話は

何となくしかわかっていません。



頑張ったけど何も果たせなかった方ですが

ゲームの影響で姜維が好きなので

彼の頑張りや最期など

そういうことが知りたいです。



姜維や蜀だけでなく

全体のその後も書いてもらえるとありがたいです。



余計なことを結構書いた気もしますが

それだけ気になってます。

回答よろしく御願いします。







五丈原の戦いで諸葛亮が死ぬと、遺言により蜀軍は撤退を始めます。戦闘継続を主張し諸葛亮の後継者は自分であると確信していた魏延は、撤退の妨害を行いますが、馬超の弟である馬岱に討ち取られます。諸葛亮の後に蔣琬,費禕,董允の順で丞相となります。姜維は北伐の再開を望みますが、彼らは許可しませんでした。董允が亡くなると、劉備の息子である劉禅の寵愛する宦官の黄皓が権力を握るようになります。また、費禕が亡くなると姜維が蜀軍の全権を得て、北伐を再開します。黄皓による政治腐敗と、姜維の北伐により蜀は疲弊します。魏の5代皇帝・曹奐(曹宇の子で、曹操の孫)の時代に、実権を掌握していた司馬昭(司馬懿の子)の命令で鍾会と鄧艾が蜀を倒すために出撃します。姜維が鍾会と交戦している間に、鄧艾が劉禅のいる成都に攻め込み、あっけなく降伏してしまいます。劉禅は、洛陽に移されて後の人生を過ごします。他の時代では禅譲や降伏した皇帝は殺害されることが多いようですが、劉協(漢の最後の皇帝),劉禅,曹奐,孫皎(呉の最後の皇帝)は殺されずに生きながらえることができました。蜀滅亡後、魏から独立したいと考えていた鍾会は、姜維に反乱を起こすようにそそのかされます。姜維の狙いは、隙を見て鍾会を殺害し、蜀を復興することでしたが、反乱を起こすことに反対した魏将らに捕縛されて姜維と鍾会は殺害されました。

一方、呉では五丈原の戦いの後の時代に、孫権の後継者問題が起こります。呉の重臣であった陸遜も、この争いに巻き込まれて憤死します。呉と蜀は関羽の死と夷陵の戦いによって関係が悪化しましたが、劉備が死ぬと諸葛亮がすぐに呉との同盟関係を回復させます。そのため、呉と蜀の軍事衝突は無くなり、孫権が死んで子の孫亮が皇帝になると、呉の実権を得た諸葛恪(諸葛亮の兄である諸葛瑾の子)が姜維と結託して北伐を行おうとします。しかし、諸葛恪の専横の酷さから、孫亮は孫峻(孫堅の弟のひ孫)に命じて諸葛恪を暗殺させます。その後、孫亮に対するクーデターが起こって孫亮の兄である孫休が皇帝となり、孫休が死ぬと孫権の後継者争いで廃嫡された孫和の子である孫皎が皇帝になります。孫皎は悪性を極め、呉の滅亡を決定的なものにします。

魏の話に戻ります。五丈原の戦いの後、魏では曹操の甥の子である曹爽が権力を握り、司馬懿は追いやられて隠居を装っていました。しかし、五丈原の戦いから15年後、司馬懿はクーデターを起こして曹爽を殺害し、魏の実権を握りました。この一件で曹家は弱体化し、司馬家が国内で強大な存在となりました。司馬懿が死ぬと子の司馬師、ついで司馬師の弟の司馬昭が魏の実権を握りました。蜀を滅ぼした功績を口実に司馬昭は晋王になります。司馬昭が死ぬと子の司馬炎が晋王となって、曹奐からの簒奪の準備が整いました。曹操が魏王になって曹丕の代で漢の劉協から禅譲を行ったのと同じ状態です。司馬炎は曹奐からの禅譲を受けて皇帝となり、魏を滅ぼして晋という国を起こしました。

晋対呉の戦いとなり、勢力的には晋が優勢でしたが、陸遜の子である陸抗がいる間は呉もギリギリのところで保たれていました。しかし、陸抗が死ぬと晋の進攻が始まり、280年に建業が陥落して孫皓は降伏しました。晋が統一を果たして三国時代が終了しました。

ちなみに、司馬炎も統一後には政治に関心が無くなって、晋が早期に滅亡する原因を作ってしまいます。316年に異民族に攻撃されて晋は滅び、司馬一族の生き残りが建業(呉の都)で晋を復興しますが、中国は北と南に分断されます。さらに、北部ではさらなる国家の分断が起こり、五胡十六国時代に突入します。統一から36年で再び戦乱が起こり、中国大陸が再び統一されるのは589年の隋のころです。聖徳太子が遣隋使を送った国です。



ごちゃごちゃしてて申し訳ないです。








大変言いにくいのですが、キョウイは蜀滅亡の原因と言われています。



諸葛亮死後、蜀では臣の足並みがそろわず、イザコザが起きます。(魏延の反乱etc)



キョウイは劉備の代からあった防衛用の漢中の兵を動かしたり、不用意な進軍を続け蜀の内政を圧迫してしまいます。



蜀の臣であった黄皓(演義では宦官だが正史では宦官ではない)が劉禅をたぶらかしているなか、ショウエンや費詩が頑張りますがキョウイのせいで国力が衰退していた上に予想外の奇襲をくらい、蜀は降伏し、キョウイも魏に降伏しました。(劉禅は魏に保護され演義では黄皓は惨殺されます。正史では生きてます)

しかし、キョウイは魏の名臣・ショウカイと共に魏に反乱します。ですが、部下の裏切りにあいショウカイ共々キョウイは処刑されます。



その後、魏は司馬イの孫?の司馬炎に禅譲され晋となる。

呉といろいろ戦い、呉の皇帝が暴帝だったり、優秀な軍師が皇帝の怒りを買って左遷されたりなどの内情も相まって見事に呉を倒し、中国を統一します。







まず姜維は諸葛亮のあとをついで蜀を建て直しまた魏討伐を開始しますが一進一退を重ね、その間に黄皓という人を寵愛し、政治を乱し、蜀の滅亡を招いてしまう。まず姜維は鍾会と鄧艾と戦うが、鄧艾に間道を通られ綿竹をとられ劉禅は降伏し姜維も降伏してしまった。だが姜維は鍾会と手を組み反旗を揺るがそうとしますが2人とも反乱を見破られ討ち取られました。こうして蜀は完全に滅びました。一方魏では司馬一族の政治によりとうとう司馬炎という人によって魏が滅ぼされ晋が立ちました。これによって魏は滅びました。呉では孫権の跡継ぎがどんどんいなくなり最終的には孫皓という人の時に晋に攻められ、陸遜の子陸抗が死ぬと呉では投降が多発し建業はとうとう陥落し呉はここに滅びるといった感じです。まぁ簡単にまとめるとこんな感じです。全部を話そうとすると長すぎるので自分でwikipediaでも使って調べてみてください。

長文失礼しました。参考になるといいなと思います。それでは失礼します。







姜維独り(?)の横山氏の漫画のタイトルに涙ぐんでしまいました



魏では司馬懿が曹爽らを処刑し、魏の危機を感じた夏候覇は蜀に降ります

呉では孫権が亡くなり呉は揺らぎ始めます

姜維は夏候覇と共に魏に侵略を繰り返すも失敗、263年にトウ艾、鐘会に蜀は滅ぼされました

劉禅は抵抗しなかったとか…。彼の子は家族と自害して劉備に詫びました

265年、司馬懿の孫、炎が曹奐から帝位を奪い、魏は晋に

280年、晋軍が呉を攻略、中国統一。

こんな感じです^^



姜維は264年に謀叛を企てたとして鐘会と共に殺されました

三国志の内容を簡潔に知りたいのですが・・・。

三国志の内容を簡潔に知りたいのですが・・・。







むかしむかし中国に漢という国がありました。



漢という国は国内の大規模な反乱で国力を疲弊して、曹操という人物に政治的に乗っ取られました。



その後、漢という国は曹操の息子に政治だけでなく国も乗っ取られて魏という国になり、曹操の頃から対立していた劉備、孫権のおこした蜀、呉という国と戦いました。



なんやかんやで蜀は魏に滅ぼされますが、魏は曹操の息子がそうしたように重臣だった人間に国を乗っ取られて晋という国になりました。



その後、なんやかんやで晋が呉を滅ぼして中国を統一しました。



上記の「大規模な反乱で」~「統一しました」が三国志の大まかな話です。








「三国志」とはその名のとおり、中国で魏(ぎ)・呉(ご)・蜀(しょく)の三国が争覇したことから付いたものです。



この時代の魏の曹操・呉の孫権・蜀の劉備らが争い合ったことは一般にも良く知られています。



マンガやゲームにもなっているので、とっつきやすいものから入っていければ興味も広がるのではないでしょうか?

三国志です。龐徳 (ホウトク)が馬超(バチョウ)と蜀に行ってたらどうなったと思い...

三国志です。龐徳 (ホウトク)が馬超(バチョウ)と蜀に行ってたらどうなったと思いますか。







劉備の生前、あくまで蜀が天下統一できなかったのは武将の不足ではなく、軍師の不足です。たとえ龐徳が蜀にいても孫権と関羽の対立は防げませんし、荊州を失うことには変わりなく、諸葛亮の天下三分の計も破綻するでしょう。ただし蜀平定後に荊州に法正や、龐統(生きていれば)らの有能な軍師を送ることや関羽の北征時に龐徳などの忠誠を誓う名将を守備に残こすことが出来れば蜀の天下統一の可能性はあったでしょう。








もしも蜀にいっていたら、関羽も死ななかったでしょう。(そうと限らないが)

漢中攻略にはもちろん、孔明の北伐にも活躍したでしょう。

また、他におしい人と言ったら、龐統でしょう。







彼の息子の龐会も蜀に仕えたでしょうから、蜀滅亡時に関羽の子孫が彼に滅ぼされずにすんだでしょう。







重用はされたと思いますが、活躍は馬超同様に厳しいでしょう。



2人とも西涼の出で、馬を率いれば天下一といってもいい強さですが、蜀・漢中など山での戦いでは、馬はあまり働けません。



ただ、北伐時なら活躍できたでしょう。







人材の少ない蜀ですから、彼の能力ならばかなり活躍できたと思います。龐統が流矢に当たって死んだ事と、龐徳が病気で、蜀に来なかった事この二つが悔やまれます。

三国志の質問です。僕は呉の呂蒙に対して、魯肅が言った、「士別れて三日、刮目し...

三国志の質問です。僕は呉の呂蒙に対して、魯肅が言った、「士別れて三日、刮目して相対すべし」の言葉を時々思い出し、教訓にしています。
皆さんにも、座右の銘というべき三国志の名言はありますか?







名言といえるかどうかはわかりませんが、曹操の詩の一節に



老驥(ろうき)櫪(れき)に伏すとも、志、千里に在り



烈士(れっし)募年(ぼねん)、壮心(そうしん)巳(や)まず



駿馬は年老いて馬屋に繋がれるようになっても、志は千里の彼方に馳せているものである。それと同様に、信念を貫き通す男というものは、年老いても、やってやろうと若々しい気持ちを失わないものだ、という意味でしょうか。



自分もこの曹操の詩の文言のように、年をとってしまっても、まだまだこれからという気概をもっていきたいと思ってます。



また孫権の



その長ずる所を貴(たっと)び、その短なる所を忘れる



大意は、臣下の持っている長所に目を向け、それを思う存分発揮できるように仕向けてやり、短所には目をつぶってやると言う意味ですが、目をつぶるのではなく短所は短所として把握しておくものの、目くじらを立てて咎めないということでしょう。



これも現代社会において、上司が部下を育てていく方法として参考になる名言と思います。








座右の銘というか大切にしてる言葉は三国志以外なのですが、男として憧れる台詞なら。



孫堅が王叡を騙し討ちしたときの言葉。王叡に偽の檄文を見せつけ…

王叡「ワシに何の罪があるというのだ!?」

孫堅「動くべきときに動かなかった罪だよ!!」

孫堅さんったら^^;イチャモン吹っ掛けるときまでカッコいいんだから…



もう一つ。太史慈が死ぬ間際に見せた本性。

「男児たるもの、七尺の剣を帯び天子の階を登るために生きてきたというのに、こんなところで死んでしまうとは!」

野心家と言えば野心家ですが、誰よりも上に立ちたいという野望を持ち続けた姿勢は何となく男としてカッコいいです。

ついでに太史慈のお母さんの台詞も。

「私は孔融殿に大変お世話を受けました。今孔融殿が黄巾賊に包囲されています。さぁ我が息子よ。救援に向かいなさい!」

このときの孔融は黄巾に完全包囲されてるのに、太史慈の母親は何と「1人、しかも徒歩」で駆けつけさせてます(汗)それで迷うことなく突っ走る息子も凄いですが、送り出す母親も肝っ玉が据わっています。







うーん、どなたも突っ込まないので、私が間違ってるんだろうか?っていう気になるのですが、



「士別れて三日、刮目して相対すべし」は、魯粛が「また呉下の阿蒙にあらず」と言ったことに対する呂蒙の言葉だったように思います。





で、私の好きな言葉ですが座右の銘というのではないですが、場面がありありと浮かぶ名場面だなと思うのが



「今、天下の英雄は、ただ使君(しくん)と操とのみ。本初(ほんしょ)の徒、数うるに足らず」曹操のこのセリフですね。

そして、まさにその時、雷鳴が鳴り響き・・・劉備が箸を落とす。



数ある演義の名場面の中でも、白眉だと思います^^







酒飲みなので曹操の『短行歌』



対酒当歌,人生幾何?

何以解憂,唯有杜康。



訳は興味あったら探してみてください。





あわてて追記です。

pikopikohammer2001様のおっしゃる通り、呂蒙の言葉ですね。

さらっと見落としていました。

魯粛が言ったのは「呉下の阿蒙にあらず」でした。



再追記

mokonavy様。

徐邈伝を読みました。

徐邈の「中聖人(聖人に当たる)」を弁護した鮮于輔の「酒清者為聖人,濁者為賢人(清酒は聖人、濁酒は賢人)」は今後使えるかなと思いました。

曹丕にからかわれた時の返答も面白いですね。

でも私は徐邈ほど立派ではないので、生き方は酒に失敗して出陣できなかった曹植って感じです・・・。







曹操が関羽に服を贈りました。その時に貰った服の上からまた同じ服を着ます。

それに対し曹操がなぜまたそのぼろを着ると問います。

その時に関羽が、この服は劉備から貰った服なので、着るだけでいつも会っているように感じるのです。

といいました。ここでの関羽の忠義に感動し、このような関係をつくりたいと思っています。

劉備羨ましい。







うわー沢山あるので迷います…

劉備にします

「悪、小なるを以(もっ)てこれを為すなかれ。

善、小なるを以てこれを為さざるなかれ」

『悪いことは、どんなに小さなことでもやるな。

逆に善いことは、どんなに小さなことでもするべきだ』

息子劉禅に残した遺書の中に載っています。

本人…悪い事(仕方のないのかもしれないけど…)してますけどね(笑)

でも、私的には素晴らしい名言文句だと思ってます。

これに感銘を受けて息子の名前に「仁」入れちゃいましたから(親バカだ)

当時は劉備(仁徳君主に洗脳)の本当の姿知りませんでしたからねぇ…(しみじみ)



追記

あっ私も単語としか認識してませんでした(すみません)「呂蒙」「魯粛」「士別れて」と読んでそのままでした。

タニオさん、曹操というよりは徐邈の「聖人」発言の方がお似合いですよ♪結果曹操に殺されそうになってるから名言ではないのでしょうが…(^-^;)曹丕ファンの私としては名言です!

hidakaさんに1票!!! 太史慈の母ちゃん好きです。

太史慈といえば、当帰(薬草)をちゃんと飲んだのかな…と疑問に思ってます

(婦人病に効く薬だから、病が治るわけじゃないけど…)

くだらない疑問だらけだ(すみません…独り言です)



更に追記…

ゲラゲラゲラゲラ(タニオさんイイですね!)

あれは曹丕の悪説もありますが、何でも構いません!曹丕の名前が出てくる事案全てが大好きだ。

意地悪だろうが、陰険であろうが、食べ物が大好きであろうが…全てが好き!

三國志の呉に甘寧(かんねい)という将がいますが、どういう方だったんでしょうか...

三國志の呉に甘寧(かんねい)という将がいますが、どういう方だったんでしょうか?

三國無双の中で浮いてる存在(私の中ではいい意味です)なので気になりました。







私はゲームをしませんので、三國無双の描かれ方はわかりませんが、

たしかに、地方の名門豪族の集合政権である「呉」では、

有名氏族とは一線を隔した、その出自は異彩ですし、

理解者はいたものの、アウトロー路線を突っ走った感はありますね。

質問者さんが仰るように、いい意味で浮いている存在に感じられます。



【甘寧(かんねい)】生年不詳~222年。



字は興覇(こうは)。巴郡臨江県四川省忠県の人。

若いころから任侠を好み、不良少年を集めてその中心になっていたといいます。

鈴を常に携えていたので、鈴の音を聞いただけで「甘寧」だと分かったといいます。



甘寧の地元では、強盗や傷害事件があると、

甘寧一味が摘発と制裁にあたったといいます。

地方の警察権限を持っていたわけです。

このあたり、江戸時代のヤクザが十手を与えられて、

形ばかりに治安維持を担ったのと似ていますね。



甘寧は、「江賊」とか「海賊」とかいわれますが、

表向きは「官吏」で、警察権すら持つ「名刺だけは堅気」の人間だったようです。



やがて学問に感化され改心した「甘寧」は、

志を抱いて手下・食客800人を引き連れて、

荊州牧の「劉表」に仕えますが重用されず、

官渡の戦いで「劉表」が日和見を決めこんだことも失望して、

荊州を去りますが、

通過する地方を占拠していた「黄祖」に身を寄せます(草鞋を脱いだ?)が、

ここでも冷遇されます。



この時、黄祖軍として孫権軍の「凌操」を討ち取るなどの手柄を立てますが、

これが後に、「凌操」の息子「凌統」の恨みを買うことになります。



その後、情勢を判断し「孫権」に身を寄せます。

「周瑜」・「呂蒙」に推挙されると、

「孫権」に父(孫堅)の仇である「黄祖」の討伐を進言します。

「孫権」は、黄祖討伐の軍を編成し、見事これを打ち破って黄祖の首を取ります。



この件は、『正史』では、「呂蒙」、「凌統」、「董襲」が軍功をあげ、

「黄祖」を討取ったのは「馮則」ですが、

『演義』では「甘寧」のキャラクターをほって置かず、

「甘寧」が大活躍し、「黄祖」を射殺した、となっています。



赤壁の戦いでは、『正史』には活躍の記載はありませんが、

『演義』では大活躍で、前哨戦の「三江口の戦い」では、

先陣を切って敵将・「蔡勲」を射殺しています。

「黄蓋」の苦肉の計では諸将に先立って助命を嘆願し、

「カン沢」と共謀して曹操の「埋伏の毒」である「蔡中」・「蔡和」を欺いています。



赤壁後、「周瑜」は南郡に「曹仁」を攻めますが、

かえって夷陵で「曹仁」の猛攻を受けます。

夷陵を守る「甘寧」は味方の援軍が来るまで城を守り抜きました。



216年、「曹操」が濡須口に攻め寄せると、

100人余りの精兵を率いて奇襲をかけ、曹操軍を大混乱に陥れました。

「孫権」は喜こんで、

「曹操には張遼がいるが、わたしにも甘寧がいる」と溜飲を下げたといいます。



『演義』では、海賊出身の武将として「凌統」との確執が強調されます。

(後日和解しました。)



『演義』では、

夷陵の戦いにおいて病床の身を押して出陣し、

沙摩柯の矢を受けて戦死しています。

矢を頭に受けたまま馬に運ばれ、

富池口の大樹の下で事切れた、となっています。

また一説には、戦死して長江に落ちましたが、

首を取ろうとする蜀兵に数千羽のカラスが襲い掛かり、

そのため蜀では首級をあげることが出来ず、

甘寧の遺体はそのままカラスに守られながら富池口に流れ着いた、といいます。

カラスが首を守ったあたり、鶴とか、鳩でないところが、

いかにも甘寧らしいですね。



富池口は現在の富池鎮で、甘寧の聖地ともいわれます。

当地には昔から甘寧を祀る廟があったといわれています。



『正史』では、病死です。

湖北省陽新県富池鎮郊外に陽新甘寧公園があります。

重慶市万州甘寧郷に、万州甘寧故里という遺跡もあります。



http://kankouha.cool.ne.jp/yiji/huazhong1.html#25








実は益州出身で無頼の徒を糾合してヤクザの大親分に。その後一念発起して荊州へ。しかし劉表や黄祖に冷遇され孫権に仕える。天下二分の計を進言。その後数多くの戦いで活躍。無頼肌は抜けなかったようで、呂蒙の部下を射殺したりしてます。







若い頃は遊侠の徒というか、ひらったく言えばちんぴらたちの親分。役人たちにも情け容赦なく襲撃をかけることもあり。



しかし孫権に仕えてからはその度胸と勇猛さで魏に張遼あれば呉に甘寧ありと言われるような活躍をします。

三国志です。 219年の関羽の北上時に孫権も合肥に北上し、さらにそれと同時に劉...

三国志です。





219年の関羽の北上時に孫権も合肥に北上し、さらにそれと同時に劉備が長安に北上したら曹魏はどうなったと思いますか?







残念ながらご質問の前提条件はことごとく成り立たないものです。



219年と言えば、劉備ら益州の本拠地勢力は漢中争奪に明け暮れています。やっとの事で夏侯淵を討ち取り魏軍を撤退させますが、そこからさらに長安に北上する余力などあろうはずもありません。



一方、呉は呉で関羽の度重なる背信や侮辱に業を煮やしきっていた時期で、関羽との関係は最悪でした。

これは、それまで何だかんだ言っても関羽の荊州支配を認めていた呉が、魏と組んでまで奪回にかかった、その事実が何よりも雄弁に証明しています。

そもそも関羽は、孫権を同盟相手ではなく敵対勢力と考えていたのではないかと疑いたくなるほどです。



おそらく、関羽は関羽で漢中侵攻と足並みを揃えたつもりだったんでしょう。しかし、それは単に二方面にバラバラに侵攻したに過ぎず、しかも呉との信頼関係を日頃から構築していなかったせいで後背を突かれる結果となりました。

味方(益州)の増援・連携は期待できず、敵(曹仁)には于禁・ホウ悳・徐晃と次々に増援が現れ、しかも同盟勢力(呂蒙・陸遜)まで敵に回ってしまったとなれば、長安を攻めるどころか荊州を保つ事すら不可能です。

事実、荊州は失陥し関羽自身も斬られてしまいました。

曹魏がどうなるか…という以前の話だった訳です。



まあそれでもそういった前後の事情を全部無視したifを…という話なら、zigentaishiさんが考察した通りでしょうね。








蜀派なら劉備&関羽の快進撃

魏派なら関羽、徐晃に敗退を持って撤退、そのまま魏国堅守



じゃないんですかね?

if話の世界には確固たる「正解」なんてないと思いますから。







まずは呉ですが、合肥攻めはことごとく失敗しています。呂蒙は病がちなので(計略含みもあって陸遜と交代したとはいえ、関羽敗死後すぐなくなった)孫権が攻める。いつもどおり撤退。

長安方面は益州漢中統治まもなく余力無し。うまくいかない。

関羽。呉が背後を襲わなければ…というのは事実誤認になるのです。樊の水は引き始め、徐晃に敗退しており、あとは撤退するだけ。呉は合肥を諦めたら魏と結んで荊州を取ると思います。その方が利があります。すると史実通りかな?

三国志って?

三国志って?

ゲームの三国無双とかしてるんですがまったく歴史についてはわかりません

結局、どこの勢力が強かったんですか?

日本でいうなら誰が秀吉だったんでしょうか?







今から、1800年前の中国で起こった天下をねらう3つの国、

魏・呉・蜀で皇帝が乱立し、

世が荒れていた時代の事を記したものを「三国志」といいます。



魏<曹操・三国無双では青色のモチーフ>が一番人口が多く、

一番強かったです。

呉<孫権(無双では孫堅がトップ)・赤のモチーフ>が最後まで生き残り、

水軍が強かったです。

蜀<劉備・緑がモチーフ>は漢の後継的存在で、

漢の復興のため戦いました。

無双でいう、他勢力は3つのどこに属さない、

もしくは魏呉蜀ができる前の人々です。

11年3月発売予定(PS3)の真・三国無双6で晋という勢力が登場します。

晋<司馬懿・水色のモチーフ>は魏に仕えていた

司馬懿という人物が反乱をおこして、

魏王朝を倒し、懿の息子(師・昭兄弟)・孫(炎)たちが建てた国です。



結局一番強かったのは魏(≒晋)ですかね~

秀吉は司馬懿ですね。



魏は蜀を滅ぼし、魏は晋(司馬一族)に滅ぼされ、呉は晋に滅ぼされました。

文がヘタですいません・・・ 分かっていただけたら、幸いです。








三国志も三国無双も、三国時代(曹丕が建国した魏・孫権の建国した呉・劉備の建国した蜀)をモチーフにしています。





日本で言う秀吉的な存在ならば、魏を建国した曹丕の父親である曹操だと思いますね。

国力も魏が呉・蜀と比べて圧倒的で、呉と蜀を合わせて、ようやく魏に対抗出来るというレベルです。







皆様が概ね正しく説明して下さってるし回答しなくてもいいかなぁ…と思っていたのですが、ひとつだけ。

司馬懿を秀吉に比するのはどうかと思います。



司馬懿と言えば、曹操の時代にはその能力を警戒されて用いられず、魏の成立後(曹操の死後)に重用されます。しかし一旦失脚し、ボケたフリなどしながらじっと耐えて時期を待ち、チャンスをとらえて一気にクーデターで政権を奪うと長男(司馬師)→次男(司馬昭)と権力を引き継ぎ、ついに孫(司馬炎)の代に魏を滅ぼし晋を興しました。

この忍耐力と行動・結果を考えれば、司馬懿はどう見ても秀吉より家康と言うべきでしょう。



では秀吉は誰になるか。

すでにご回答が出ていますが劉備がふさわしいと考えます。

ムシロを織って売り歩くような極貧生活から、大志を胸に乱世を渡り歩き、紆余曲折を経てついには蜀漢の皇帝にまで登り詰めた。この成り上がりっぷりこそ秀吉に相応しいかと。



まあ、劉備は最初から「後漢の皇族」という評価がついて回ったので、厳密には秀吉より恵まれていましたが(^_^;







>日本でいうなら誰が秀吉だったんでしょうか?

そりゃ日本でいってんだから秀吉ですよ







まず、質問に答えますと

一番強かった国は、曹操率いる魏

次が、孫堅、孫策、孫権の呉

三国の中で、一番勢力の小さいのが、劉備の蜀です。

日本で言う秀吉的存在は、司馬氏!

司馬懿がクーデタを起こし、国を乗っ取り、孫の司馬炎が分裂した国を統一して、晋を建国しました。



補足として

質問者が、三国志の歴史を知らないらしいので、簡単に説明します。

主な人物

曹操(魏)、劉備(蜀)、孫権(呉)、です。

魏には、曹操の子の曹丕、いとこの夏侯惇、夏侯淵、後にクーデターを起こす司馬懿、曹操に悪来と呼ばれた典韋、許褚、張郃などがいます。

蜀には、劉備と義兄弟の契りを結んだ関羽と張飛、常山の趙雲、臥龍と称された軍師 諸葛亮、老いてなお盛んな弓の名手 黄忠などがいます。

呉には、孫権の父 孫堅、兄の孫策、呉の宿将 黄蓋、孫策の親友 周喩、周喩の後の軍師を継いだ、呂蒙と陸遜などがいます。



戦いは時代順に、黄巾の乱(張角率いる黄巾族VS後漢軍) - 陽人の戦い(董卓軍VS反董卓連合軍) - 官渡の戦い(袁紹軍VS曹操軍) - 倉亭の戦い(袁紹軍VS曹操軍) - 長坂の戦い(劉備軍VS曹操軍) - 赤壁の戦い(曹操軍VS孫権軍+諸葛亮) - 潼関の戦い(馬超・韓遂らの連合軍VS曹操軍) - 定軍山の戦い(曹操軍VS劉備軍) - 合肥の戦い(孫権軍VS曹操軍) - 夷陵の戦い(劉備VS孫権軍) - 諸葛亮による南征(南方異民VS諸葛亮軍) - 街亭の戦い(諸葛亮軍VS張郃軍) - 陳倉の戦い(諸葛亮軍VS魏軍) - 五丈原の戦い(諸葛亮軍VS司馬懿軍) -段谷の戦い(蜀軍VS司馬懿軍)です。すべて、後者の勝利です。







三国志は、蜀の陳寿が記した歴史書で、それを元にして作られた読み物が「三国志演義(以下演義)」です。「演義」では後漢末に起こった「黄巾の乱」から始まり、劉備玄徳が主人公です。

「黄巾の乱」平定後、時代はさらに混迷を深め、劉備のライバルとなるのが曹操孟徳、呉の孫権の父・孫堅などが台頭し、群雄割拠の状態になります。

やがて曹操が中国のほぼ北半分を領有し、劉備は土地なしの根無し草のまま孫権を頼り、彼と手を組み「赤壁の戦い」で曹操を大敗させ、その後、益州(現在の四川省、雲南省)を領有化し、曹操が魏、劉備が蜀、孫権が呉の「三国鼎立」状態となります。これが「三国時代」です。

勢力ですが、劉備がジプシー化する以前から曹操は後漢最後の皇帝・献帝を掌中に収め、袁紹を「官渡の戦い」で破ってからは中原(河南省を中心とし、山東省の西部から河北省・山西省の南部、陝西省の東部にわたる華北平原を指す)を領有する中華最大の勢力となります。孫権もこれに次ぐ勢力を持ちますが、中原を領有するか否かの差は大きかったのです。つまり魏の勢力が最大でした。ちなみに秀吉に当たるのは、貧乏から旗揚げをして蜀の皇帝になった劉備が該当すると思います。

なお、後漢は曹操が220年に亡くなり、後を継いだ曹丕(そうひ)が献帝から帝位を譲り受け(これを禅譲と言いますが、実質的には簒奪(さんだつ)も同然でした)る形で滅亡しました。これを受け、劉備と孫権も皇帝を名乗るのです。

下の方も書かれたとおり滅びたのは蜀→魏→呉の順番ですが、魏は曹操の孫・曹叡の没後に家臣の司馬一族が専横するようになり、4代皇帝の曹髦(そうぼう)がクーデターに失敗し殺害されてからは完全に司馬氏に乗っ取られた状態になります(この時点では蜀はまだ滅んでいません)。魏は蜀滅亡から2年後の265年に司馬炎に帝位を禅譲し国名は晋になりますが、上記のことから三国で最初に滅んだのは実質的には魏と言う歴史学者もいるようです。







蜀と呉が一緒になって戦うくらいだから魏が強いと思う。

でも滅びた順番は蜀→魏→呉だったと思う。

三国志演義には結構フィクションが入っていますか?

三国志演義には結構フィクションが入っていますか?







実は、かな~りフィクションです。



桃園の誓いもフィクションとされてますし、三顧の礼ですらフィクションとされてます。

さらに赤壁では孔明は殆ど何もしてないです。

十万本の矢は……孫権のエピソードだったかな? また風向きを変えた事実も当然ありません。

主君の子を抱えて、敵軍の中を単騎で突っ切ったとかもフィクションです。

美女連環の計もその美女自体架空だし(一応モデルはいるみたいだが)

とにかく主だったエピソードはフィクションと思っていただいて問題ありません。

たまに史実が混ざってますが。








8:2で理想:現実ですね

本史をある程度読んでから読むとイライラするぐらいフィクションばかりです







三国志演義という作品そのものが歴史を題材にしたフィクションです。







おおまかな流れと、実在人物の名前(一部例外あり)以外はほぼフィクションといっていいかも知れません。

例えば、赤壁の戦いで呉軍が魏軍を破ったのは事実ですが、

諸葛亮はほぼ何もしていないし、

苦肉の策もフィクションのようです。







はい。

結構多くのフィクションが入っています。

「演義」というのは「活劇」的な意味合いで、イコール「フィクション」のことです。

正式な国の歴史書である「三国志」とは別に庶民の娯楽として創作されたのが「三国志演義」です。

今で言う「小説」ですね。

2012年3月27日火曜日

三国志ってどんな物語なんですか?

三国志ってどんな物語なんですか?

三国志をよく知りません。

簡単でも長くてもいいのでわかる方教えてください。







三つの国の物語。

時代は、漢王朝が崩壊したくらいのお話し。

漢の後をどの国が継ぐかの群雄割拠の中、

漢の最後の皇帝、献帝より、後を任された魏の曹操、

漢王朝の血筋を引く、蜀の劉備、

そして、小国ながら、三代に渡り、国を強くしていった呉の孫堅、孫策、孫権、

この三国が他を撃破し強力となる。

魏は、皇帝よりまかされたため、

蜀は、漢王朝復興のため、

呉は、親子三代にわたる悲願成就のため、

それぞれが、それぞれの正義をかけて戦った。

結果的には、魏は、赤壁の戦い後、及び、曹操亡き後、力を失い、滅亡、

蜀も、名将を次々に戦争で失い滅亡。

残った呉も、異民族の流入で滅亡。

といった感じです。








晋という国が、天下統一をします。







今から1800年ほど前の中国大陸を舞台にした国取り物語です







まずその時代の中国には漢(後漢)という劉秀が建国した国家がありました。

しかし初代皇帝劉秀以来、皇帝の早死になどが原因で幼少の皇帝が即位するようになりました

勿論そんな皇帝では政治は行えませんから、親族や側近が行うようになります。

しかしその人たちも互いに権力争いを始めるようになりました。

そんなことがずっと続いて政治はすっかり腐敗、国は疲弊しきっていました

そんな中、張角という者が黄巾賊という組織をつくり各地で反乱を起こしました。

この乱は鎮められたのですが黄巾賊の討伐で活躍した曹操という

後に魏王となる者が、そこからどんどん出世していきます。

同時に漢という国はもはや名前だけでほとんど曹操の国といっても過言ではありませんでした

(最終的に漢は曹操の死後即位した息子の曹丕に滅亡されられ魏(中国の北側一帯)になりました



それを良しとしない

劉備が蜀(南西側一帯)という国を、

孫権が呉(南東側一帯)という国をつくり魏に対抗しようとしました。

しかし劉備の死後少し経ってまず先に蜀が魏に敗れ併合されました。

そんなときに魏の司馬一族が魏の実権を握るようになり魏の皇帝曹奐は

司馬炎(司馬昭の息子で司馬懿の孫)に退位させられ西晋が建国されました。

そのあと呉も晋の攻撃に敗れついに長く続いた三国時代も幕を閉じました。

ちなみに中国大陸を統一した晋の皇帝司馬炎は統一後政治に興味を失い

国は安定せず短命国家となりました。

それからも中国大陸は再び南北朝などの動乱をを経て隋によって統一されました。とさ











序盤と終盤を重点的に書きましたが中盤にはもっとおもしろいドラマがあります。

詳しく知りたいならば本やゲームなどで調べてみてください。

三国志で魏が正統王朝とされている理由は何ですか?

三国志で魏が正統王朝とされている理由は何ですか?







魏は前王朝の漢王朝の皇帝の献帝から正式な儀式を行い引き継いだからですね。

禅譲は出来レースだったようですがそれはさて置き、正式に魏が引き継いだので正統な王朝でしょう。

蜀の劉備や呉の孫権は漢の献帝と儀式を行い引き継いでいませんからね。








魏の曹ヒは正式に漢帝より禅譲されました、曹操も皇帝の下丞相という位でした。

演義では皇帝を操り人形にしたり無理やり禅譲させたように描いてますが・・・







そういわざるを得ない世情だったのでしょう。

後世、「蜀漢正統論」なるものが持ち出されるや

時代の追い風を受け、この論は次第に強まり

すっかり蜀を正統と見る論も深く浸透してしまいました。



現代の歴史教科書の歴史年表などを見ると

あの時代は「三国時代」と明記されていることが多く

正統論決着の不鮮明さもあり、便宜的に

三国相並ぶと見ているようですね。







魏は漢の皇帝から正式に禅譲されました。

蜀と呉は勝手に独立して皇帝を名乗りました。







晋王朝が魏の皇帝から帝位を譲られたからです。



晋王朝は、魏が正統だったことにしないと、晋王朝自身が正統であることを証明できません。

だから魏が正統だ、という歴史書をわざわざ蜀出身の人に書かせました。もしかしたら「蜀が正統だと言えなくも無い」という負い目があったのかもしれません。



また、その後の時代も、「魏王朝が漢の皇帝から帝位を譲られたから正統」というシステムを使って自分の王朝を正統ということにした王朝がいくつもあります。それらの王朝も、「漢から譲られた魏は正統」と言わないと自分の王朝が不正だということになってしまうので、魏が正統であることを公式見解としてきました。





魏が三国の中でもっとも強かったから、というのはちょっと違うと思います。仮に魏が最弱でも、魏から帝位を譲らせた晋王朝が最後に統一して歴史書を書かせれば、魏が正統だと言うことになったでしょう。







三国志が書かれたのは晋の時代です。



晋国が書かせた歴史書なので、三国志の中では晋国は正統王朝です。





晋国に王朝を譲ったのは魏です。



そういった所からだと思います。







三国時代の中で最も強大な国が魏で、天下三分とはいえ実際は魏の領土が中原の三分の二を占めて人口と兵力も圧倒的優勢であったから。それに、統一を前にして晋への王朝交代劇が見られたが、実質は魏の国力が三国統一を可能にした事も理由の一つだと思います。







漢の献帝から皇位をゆずっていただきましたから。

三国志演義の作者は、曹操と孫権のどちらを特に嫌っていたと思いますか?

三国志演義の作者は、曹操と孫権のどちらを特に嫌っていたと思いますか?

曹操が嫌いだから悪役に仕立てたとも考えられますし、孫権が嫌いだから脇役で冷遇したとも考えられるのですよ。

皆さんは、どのように思いますか?







別に曹操が嫌いだからではないでしょう。

単にこれは儒教論理なんで、

劉備を正義としたら、曹操を悪とするしかないのです。

そして孫権ですが、はっきりいって演義的には

孫権の役割はほとんどありません。

脇役というだけです。

実際、割かれている話数も少ないし、出てこない。

出てきても、騙され役とか、引き立て役。

演義の筋書きは、単純な構図で、いつも不変です。

好き嫌いは関係ないでしょう。

というのも、三国志演義が成立したのは、

彼らが死んだずーーーーーーーと後なんで

すくも嫌うもない。



だいたいからして、演義は、桃園の誓いから始まることからして、

いきなり”仁義”や”孝徳”、”忠義”のテーマが続くのです。

要するに、このテーマに沿いさえすれば、

人物は誰でもいいのです。

歴史的な構図を、儒教や道徳に則ったストーリーと人物像に単純化してる。

そういうキャラ配置になってるのです。

わかる?

三国志にでてくる武将の登場人物の名前を教えてください 男性と女性をお願いします...

三国志にでてくる武将の登場人物の名前を教えてください

男性と女性をお願いします。よくでてくる武将です







三国志の時代、つまり後漢時代ですね。

この時代は女性の武将というのは殆ど存在しません。

男性の武将であればそれこそいくらでも居ますが、人気のある武将といえば、

曹操、劉備、孫権の君主3人に、関羽(中国では最も人気があります)や張飛、趙雲などの武断派、諸葛亮や郭嘉などの智謀派などですね。

私は馬超や黄忠、張遼が好きですね。








三国志の中でも最強と呼ばれる

呂布(字:奉先)です。

彼は、虎牢関で関羽・張飛と戦っても

五分五分でした。

詳しくは「三英戦呂布」で調べてみてください。



女性は、武将と言うほどでもないですが、

孫堅の娘の孫尚香です。

部屋の前に武装させた侍女を置き、

自身も腰に弓を携えていたことから、

「弓腰姫」といわれたそうです。

三国志大戦のデッキ診断をお願いします。

三国志大戦のデッキ診断をお願いします。

デッキコンセプト自体は粘り手腕です。



使用カード



SR 甘寧

SR 孫皎

R 孫権

R 呉夫人

C 潘璋



軍師



SR 周姫

C 魯粛 です。



テンプレ型の手腕ですが、変更点などありましたら宜しくお願いします。

現在は5品です。カード資産は呉に関しては全て揃っています。







診断させていただきます

今のバージョンは超絶強化(主に天下無双や疾風怒濤)が多く、それに対抗するため火計の投入が望ましいです。

選択肢としては2つあるのですが

①呉夫人を抜いて孫カンの投入

② 孫コウを抜いて周喩を入れる

このどちらかが現実的だと思いますが、両方一長一短です

①は総武力は高めですが、孫カンの火計の威力が心許ないです(呂布とか張飛とかやくのには十分ですが)また呉夫人が今流行の赤壁対策になるので、それを抜いてしまうのも大きいです

②は強力な赤壁をデッキに組むことができますが、総武力が低くなってしまいます。

また、粘りは今のバージョンでは修正を受けてしまい、効果時間も結構短いですし、ダメージ軽減量も昔ほど高くなく、正直微妙なカードです。

ですのでコンセプトを崩すことになるのですが甘寧を変えてみるのも手だと思います。

変える候補としては

SR快進撃孫策 一人で戦況を変えられる爆発力

R甘寧 マップ兵器(笑)

SR太史慈 R甘寧ほどではないがかなり強力な全体弓

らへんじゃないでしょうか?

あと、軍師なのですが再起は二人もいらないので魯粛を周喩か諸葛謹に変えてはどうでしょうか

他にも変えようと思うといくらでも変えれます。しかしそこは質問者様が自分で気づいて、変えていった方が今後の上達の為にもなるのではないでしょうか?

がんばってください^^



長文失礼しました

三国志。名馬のこと。

三国志。名馬のこと。

呉には名馬はいなかったのですか?

孫堅、孫策、孫権、周瑜あたりの愛馬とか?







zenichiro2001さん のおっしゃることも一理あると思います。

しかし,こういう見方も出来ないでしょうか?

関羽や張飛の名前がなぜ,歴史書に残っているのでしょうか?

それは,武将として希有な存在だからです。

一兵士の名前なんてほとんど残ってないでしょう。

それを馬に当てはめればわかりますよね。

名前が残るということは,その馬の実績がよっぽどないといけないんでしょうね。

だから,呂布の愛馬「赤兎馬」はものすごい名馬であるといえるんでしょう。

しかし,孫堅・孫策・孫権・周瑜が乗る馬ですから名馬であるとは思いますよ。








馬には乗ったでしょうが、「南船北馬」というように呉には名馬をが出来る環境ではありません。

三國志について。 何かトリビアとかありましたら是非教えてください。 正史、演義...

三國志について。

何かトリビアとかありましたら是非教えてください。

正史、演義でもOKです。



よろしくお願いしますm(__)m







関羽の死



関羽はハン城攻略を試みるがホウ徳の猛攻に苦戦する

それと同時に関羽は呂蒙に笑裏蔵刀の計にはめられていた呂蒙はケイ州を攻略していた糜芳と博士仁は呉に降っていた

負傷していた関羽はケイ州奪回をはかるが呂蒙に敗れ捕虜になる

孫権は関羽に助命を試みるも一喝され首を斬られた

その後関羽は宴席のときに暴れだしたため呂蒙が狂って死んだらしい

その事に恐れて孫権は劉備と関羽双方の怒りをそらすために首を箱に入れて曹操に献上する

曹操が箱を開くと関羽の首が髪と髭を逆立ててにらみつけてきたので驚いて気絶してしまう

それから曹操が寝ようとすると関羽の姿が現れるようになり衰弱してしまうそれがきっかけで天命を悟って曹ヒを跡継ぎにしそれからすぐに死去するらしい








正史よりいくつか。トリビア(無駄知識)なので、ネタになりそうなのを挙げます





関羽は劉備より年上。



虎牢関の戦いは存在せず、連合軍は宴会ばかりしていた(洛陽に入ったのは孫堅。曹操と鮑信だけは戦った)。



合肥の戦いでの呉の敗因は、援軍が大量に来るという勘違いから。あの人が恐いからではない。





なんてどうでしょうか?話のネタになりそうなやつをチョイスしました。







貂蝉サイボーグ説なんかどうでしょう?(爆)



貂蝉は実はひどく不美人で、とても美女連環の計に使えそうにありませんでした。王允が華佗にそのことを打ち明けたところ、華佗は首を西施のものと取替えます。

これで事が成る…と喜んだ王允ですが、貂蝉はものすごいビビりで行動に移せません。それで華佗は今度は肝を荊軻のものと取り替え、ようやく度胸満点の美女となった貂蝉は呂布と董卓を籠絡したという…。



劉備三兄弟の兄弟順を決めた話もあります。



桃園結義で義兄弟となった三人ですが、兄弟順をどう決めるかで揉めます。張飛がそばの木を示して「てっぺんまで早く登った順にしようぜ」と言うが早いか登り始めます。関羽は慌てて後を追いますが、張飛はいち早く登りきり「これで俺様が長兄だ!」と得意満面。

そこへ下から笑い声。見ると劉備は木に登らず根元に腰を下ろしています。

劉備が言うには「木は根から生えるもの」つまり一番最初にあるのは根でてっぺんの葉先は最後に生まれたものだから自分が長兄、張飛が末弟だというのです。

張飛は地団駄踏んで悔しがりましたが、もう後の祭り…。



チャンチャン♪







三国志でトリビアというと…「孫権は短足だった」というネタがまず思い浮かびます。



他には、関羽の架空の息子関索がアーサー王伝説と同じルーツを持っているという説(古代スキタイやサルマティアの英雄伝説が起源)がありますね。

「ユリイカ」1998年9月号に載っている金文京氏の「『三国志演義』と『西遊記』」に、その説が取り上げられています。







名医華陀インド伝来説なんてどうでしょう。

中国の有名な歴史学者陳寅恪が称えた説です。



正史『三国志』に出てくる華陀の話はほとんどがインドにも似たような話があるらしいです。

しかも、インドの薬の神様を「阿伽陀(agada)」というらしく、「阿羅漢」の「阿」がとれて「羅漢」になったように、「阿伽陀」も「阿」がとれて「伽陀」になり、「華陀」に置き換わったとしています。



もしかしたら「華陀」という医者が実際に存在したが、いつの頃からか、インドの「阿伽陀」やその他の伝説によって人物像に肉付けされたのが、『三国志』に出てくる華陀の正体ではないか、と陳寅恪は言っています。



ついでに曹操の子・曹冲が象の重さを量る話もインドから伝わったものだとしています。







関羽は死んでからの方が大変でした

算盤の発明者にされたり

商売の神様にされたり

秘密結社の象徴で

辛亥革命も関羽が居なかったら成功したかどうか

ってとこでいかがでしょう

三国志で有名な武将は超人だったんですか? 少しでも手傷をおってしまったら致命...

三国志で有名な武将は超人だったんですか?



少しでも手傷をおってしまったら致命的な戦国時代に人間は現実的に騎乗していたとはいえ敵兵数百人に囲まれながらの白兵戦で
疲れ知らずで何時間も無傷で戦い続けられるものでしょうか?



雨の様に射られた矢も映画みたいに払いのけられるものなのか?



ゲームですらノーダメージでクリアーできないのに武芸とは極めれば現代人にありえないことも出来てしまうのか?



それとも三国志自体が誇張表現された逸話だからでしょうか?



自分も三国志は大好きなので強い武将に憧れますが現実とのギャップを考えると疑問に思います。



皆さんの意見を聞かせて下さい。







>三国志で有名な武将は超人だったんですか?



三国志演義のイメージが強いようですね。三国志演義では関羽・張飛のような将軍が

敵陣に突っ込み敵将と一騎打ちをして討ち取るというような戦い方で勝敗が決まって「か

っこいい・凄い」と言う印象を受けるでしょう。ゲーム(特に「三国無双」)やマンガなどはそ

の方が面白いですからそういう面を強調されています。



しかし、実際の戦争もそうかというと違います。一騎打ちなんかはありません。陣形・戦法・

兵数・兵士の訓練度など様々な要因で勝敗が決まります。武将個人の武勇では決まり

ません。



将軍の周りには護衛の兵士が居ます。また陣頭にいるようなこともなく、後方から指揮を執

っていますので敵兵に囲まれることも少ないです。(そうなったら捕まるか殺されます。)

戦争で危険なのはむしろ兵士の方でしょう。



とは言え、武勇もなければ将軍は務まらないのでしょう。一騎当千、一将功成って万骨枯る

と言う言葉もありますからね。



>疲れ知らずで何時間も無傷で戦い続けられるものでしょうか?



ちょっと違うかも知れませんが、

「呉の周泰は孫権を守って体中傷だらけだった。ある戦いの時

他の将が周泰の指揮下で働くことに不満だったが、孫権が周泰の傷あとを宴会の席でみなに

見せてその功績を称えたので他将が納得した。」

とあるので無傷ではいられないでしょう。疲れないなんてこともあり得ません。



>雨の様に射られた矢も映画みたいに払いのけられるものなのか?



夏侯惇は実際に戦場で眼を負傷しています。(小説のように眼は食べませんが・・・。)



>それとも三国志自体が誇張表現された逸話だからでしょうか?



三国志演義で関羽・張飛などは一騎打ちで敵将を討ち取りますが、討ち取られるのは

だいたい架空の人物です。黄忠が夏侯淵を一騎打ちで討ち取りますが、歴史書では黄

忠軍が討ち取っている。徐晃は孟達に射殺されるが、歴史書では普通に死にます(病死?)。



>戦場でどうやって生き残っていたんでしょう?

>本当は実戦には出ず殆ど手柄も立てず逃げ回っていたんでしょうか?



いくら小説が誇張されているとは言え、そこまで逆に考えるのには無理があるでしょう。極論過ぎます。



兵士だけが戦場に赴いているなんてことはありません。誰が兵士をまとめるのですか?

誰が作戦を立てるのですか?誰が兵士の行動を指揮するのですか?



たとえが難しいですが、遠足やら修学旅行の時に、生徒をまとめて引率する先生を思い浮かべて

ください。生徒だけで行動したら好き勝手に行動するでしょう。



実戦にも出なかったらどうやって戦いをはじめてどうやって終えるのですか?

手柄を立てなかったらどうやって出世するのですか?

指揮する人間が逃げ回っていたら兵士が戦うと思いますか?



生き残るために戦って敵を倒すのです。逃げ回るようでは歴史に名を残すことはできないでしょう。

歴史に名が残っているのはそれなりに優れていたからです。








中国の歴史書はそういういい加減なところが多々あって、何百年もの間帝位についていた皇帝や、体が獣だった皇帝もいたそうです。

(今では神話上の話という扱いになっていますが)







>人間は現実的に騎乗していたとはいえ敵兵数百人に囲まれながらの白兵戦で疲れ知らずで何時間も無傷で戦い続けられるものでしょうか?



んなわけないやろ。全部漫画や映画の話。三国志に限らず古今東西どこの戦争の話も全部。

三国志大戦3のデッキについて。 まだ始めたばかりの初心者です。 まだカードも...

三国志大戦3のデッキについて。







まだ始めたばかりの初心者です。

まだカードもあまりないことから、あんまりいいデッキが作れないんですが、
とりあえずつくってみました。

アドバイスや、変えたほうがいいところを教えてほしいです。

デッキは、

SR陸ソン

C馬忠

UC張承

UC程普

Cハンショウ

軍師

Cロシュク

です。

お願いします!













弓が中武力1人・高武力1人いる状態で伏兵が2人いるので序盤相手はなかなか攻めれないでしょう。

デッキ構成的にも弓2槍2馬1とバランスがよく、初心者ならそのデッキで十分です。



大事なコトはSR陸ソンの計略発動までの時間が9.5Cもあるということです。

初心者で9.5C守るのはなかなか難しいです。

SR陸ソンを使うときは敵武将が数人撤退している時、敵が全員自城に戻っている時・・・要は敵が攻めにくい時に使うのがベストです。vv



下に書いたR孫権を入れておくと、SR陸ソンの計略が使いにくい状況でもR孫権の手腕に切り替えることができます。





もう少しレベルをあげるなら、

UC程普をR孫権(手腕)に変えたり、UC張承をC朱桓(火計)に変えたりすると戦術の幅は大きく増えます。

R孫権なら→士気を9くらいまで溜めてからSR陸ソンの孫武の大号令を使った後、敵陣まで攻めてR孫権の手腕を使うと

(武力7+武力5)=武力+12の超絶号令並みの威力になるので 理論上だけでなく実際に強いです。



UC張承→C朱桓に変えるコトは敵の呂布や張飛といった高武力の脳筋武将を焼いてくれるだけでなく、相手は火計でまとめて焼かれないようにカードを密集されるコトができなくなる といった効果もあります。



またC馬忠をR周泰(男の意地)に変えるのも良いかもしれません。







初心者ならそのデッキで十分なので 後は慣れてくるとどのようなデッキ構成が良いか自然と分かるので、

まだそのデッキや、上に書いたカードを入れてやってみるのも良いと思います。

がんばってくださいね(・・w

三国志にすごく興味があります。 ただ登場人物が多すぎてさっぱり理解できません。...

三国志にすごく興味があります。

ただ登場人物が多すぎてさっぱり理解できません。

申し訳ありませんが、簡単な内容をどなたか教えて下さい。



一応・・・・(幼稚な説明ですみません)

・劉備、関羽、張飛が仲間

・三顧の礼で孔明が劉備の仲間に

・呂布の乗ってた馬はいい馬(笑)

は理解しているような、間違っているような・・・







黄巾の乱後、董卓という者が都の実権を握り、各地の英傑が集合し、打倒の軍を起こす。

董卓は呂布の裏切りによって倒れ、都は混乱する。

その間に、曹操が黄巾征伐などで実力を蓄え、帝を自分の本拠地に招きいれる。

袁紹と官渡で戦いになり、曹操が勝利し、河北はほぼ曹操が支配する。

その間に、孫堅・孫策が江東で支配力を強めひとつの勢力となる。

劉備は、その混乱の中南へ下り同族の劉表を頼る。

いずれ劉表は死に、曹操が南征の軍を起こす。

元劉表軍は降伏し、劉備も南下して逃げる。

劉備は孫権と結託し、曹操軍と戦い赤壁にて大勝する。

劉備はその隙に元劉表領を接収し、一勢力となり、さらに西征して同族の劉璋領を占領する。

赤壁以後、どこか領土を取ったら元の劉表領を孫権に返すと約束していながら、返さなかったことに腹を立てた孫権が曹操と結託して攻めてきて、弟同然の関羽が殺され、荊州の支配力が弱まる、劉備は反撃するも破れその後病死する。








横山三国志は名作ですね。まんが60巻読めるならおすすめしますよ。

一連の流れとしては

主人公は劉備で関羽・張飛が豪傑の義兄弟。

世の中が乱れて戦乱の世なのでそれを終わらせるために奮闘するも、ライバル曹操に阻まれる。打倒曹操のために天才軍師孔明を三顧の礼で迎え入れる。

やがて曹操の魏・劉備の蜀・孫権の呉の三国時代となるが劉備そして後をついだ孔明も志なかばにして倒れる。







400字以内で適切に表現するのは不可能です。



よって、



①横山光輝のマンガを読む

②吉川栄治の三国志を読む

③koei社の出しているゲームをしながら覚える



これらを推奨いたします。

番号は優先順位です。



こちらは上級者向け

④安能務、柴田練三郎、北方謙三らの小説も読んでみる

⑤マンガ蒼天航路で演義とは違う三国志観を身につける

⑥正史を読んでみる



番外

koeiのゲーム関連本「武将File」シリーズで各武将のエピソードを知る

反三国志などのイロモノに手を出してみる







そんなもんです。

そして中国大陸に魏・呉・蜀の三つの国が出きるわけです。

最後に晋という国が統一しておしまいという話です。

その間100年近くあるのでエピソードもたくさんあるわけで、登場人物も多くなるわけです。

ただみんな名前が漢字なのでわかりやすいですよ。







上の説明は全部あっていますよ。

横山光輝さんの漫画の「三国志」を読んでみたらどうですか。

三国志大戦の質問。全国対戦をやってる人だけ回答お願いします。 最近の全国対戦で...

三国志大戦の質問。全国対戦をやってる人だけ回答お願いします。

最近の全国対戦ではどのようなデッキとよく当たりますか?

求心とか決起とかだけでも良いですが詳しく書いてくれると嬉しいです。







私は曹操、劉備、孫権の英傑系とよく出くわします



dres2511さん

日本語分かってますか?

質問者様の前の質問を見てきましたが雄飛のことを知ったかぶるなと言ってただけです

質問に対する回答には何も言ってませんよ?

知らないのに答えるなと言ってるんです

質問の内容は雄飛が何故ランキング上位に居るのか、貴方はどうしてだと思いますか?っという内容です

関係ないことをベラベラと語ったあの人達が悪いでしょう








前回質問者さんが出した質問のBAに対するコメ…最悪ですね。



バージョンアップしたばかり、回答は推測になりやすいというのに知ったかぶりと返すとは…



大戦はメインデッキのこと以外はよくわからないのが普通…だからカードに関する回答はほぼ100%知ったかぶりになります。

知ったかぶりはやめろというコメントを撤回しないと今後まともな回答が付かなくなることを覚悟しましょうね。









ちなみにR孫策の使用率上昇はR陸遜の英魂号令の強化によるものです。その証拠としてR陸遜の使用率が70ランク上がっています。







明らかな流行の兆候があるのは今挙げた雄飛英魂号令デッキ、そして於夫羅&軍師賈ク入りのデッキの2種類…まぁ私はまだ当たっていませんけど。



当たったのはほとんどがVer3.51B時代の流行デッキ及びその亜種でした。











gorigorisonさん

どう思うか?→回答→知ったかぶりやめろ

この流れは所謂釣り質問に見られる傾向です。

ベターな回答じゃなかったかもだけど、バージョンアップ直後で情報を掴みにくく、また全否定出来る回答でもなかったはず。

なのにそういう態度をする質問者に対しては親切な回答は付きにくくなりますよ、ということを言いたかっただけです。



最後になりますが、この質問とは全然関係ないことで長文になってしまいすみませんでした。

三国志の曹操は、要約して言うと何をした人ですか?

三国志の曹操は、要約して言うと何をした人ですか?







50字程度なら

「乱世に乗じて兵を挙げ呂布・袁紹など強豪を討ち滅ぼし、劉備・孫権らとしのぎを削り三国志の一角魏の礎を築いた人」



10字程度なら

「天才的な才覚を持つ英雄」








後漢末期の乱れきった世の中で、孫権と劉備以外の群雄を打ち平らげた英雄。



彼の死後、その勢力範囲は「魏」という国になった。



詩人としても一流。







魏という国の礎を築いた御方でございます。

三国志大戦3について質問なんですが デッキがR孫権 R太史慈 UC張紘 UC淩統 C朱桓 G...

三国志大戦3について質問なんですが

デッキがR孫権 R太史慈 UC張紘 UC淩統 C朱桓 GSR周瑜

なんですが

UC淩統をSR孫策にしたらどうかなと思ってるんですがどうでしょうか??

騎兵はもう一枚くらいほしいとおもってるんで、、ためししてみろって感じですが。。

どうでしょうか??UC淩統のほうがよいでしょうか??







デッキとしては普通に戦えるデッキですね。



孫策よりは凌統の方がいいです。孫策は計略の癖が強いので使いこなせれば強いですが、あまり騎馬の扱いに長けていないのであれば士気5の漢の意地でしかないので。ただ、使いこなせるなら朱桓よりもよっぽど殲滅力が高いので入れ替えはありです。

現在魏が多くなっており、魏には槍が居ないことも結構あるので上手くすれば孫策一人で壊滅させることができます。特に魏には高知力が多いため朱桓の意味が無いことが多々あるので。



周泰と凌統では「柵、地属性、超絶強化」と「勇猛、武力+1、計略が実戦レベルではない」のどちらを重視するかですね。

3人とも武将ランキングでも大差ないのでこのあたりはプレイしてからのお好みで。



軍師も周瑜でかまわないでしょうね。

これまでより弱くなっていますが、このことでこれまでのように呉の軍師=周瑜ではなくなり、相手が警戒しなくなっているので不意を突きやすくなっています。さらに効果時間や範囲の減少は「自分の進路が邪魔されにくくなった」と考えられればプラスになります。








貴方様のデッキは強いです。あえて変えるとすれば軍師はロシュクの方が安定すると思います。



SR孫策は強いです。しかし、呉は弓を守るという観点上、馬2体よりも槍2体の方が良いと思います。

SR孫策を入れるのであればC朱桓をR孫尚香、C董襲、UC黄蓋の中から1体に変更した方が良いでしょう。

軍師は同じくロシュクが良いです。



火計を使いたいのであればそのままのデッキ、

SR孫策が使いたければ変更型のデッキといったところでしょうか。







それよりも軍師を変えた方が良いかと、周瑜は今の時期弱体化して使いずらいですよ。



後SR孫策は計略が使いずらいうえに素武力7なので微妙、私ならR周泰で柵を増やします、SR孫策と同じ悩みを抱えてますがやはり柵槍は強いです。



まあ最終的には貴方の判断ですけど、使い易いのが一番ですよ。

三国志大戦3のデッキ診断お願いします。現在6品です。 ①SR快進撃孫策 SR陸遜 C朱桓...

三国志大戦3のデッキ診断お願いします。現在6品です。

①SR快進撃孫策

SR陸遜

C朱桓

UC張コウ

UC小キョウ



②SR快進撃孫策

R周ユorR文オウ

R孫権orC朱桓

UC小キョウorC太子享

UC張コウ



in outお願いします。小虎は持ってません。







テンプレの(赤壁)快進撃デッキが強い理由は



①崩射+快進撃→小華



②固まったら赤壁、バラけたら春眠か快進撃



といった凶悪な計略、戦術の二択、三択を迫れる点にあります。



1.5コストに呂岱が採用されているのも武力底上げ、崩射での突撃のフォロー、いざという時の英魂戦法があることが理由です。



孫権が悪いわけではないです。号令という選択肢も増えますので。

私なら呂岱>孫権というだけです。もちろん2コストが周瑜以外なら朱桓もありだと思います。やはり小虎は欲しいですね。

三国志の英雄の一人、呂布が好かれる理由って何だと思いますか?私は多分なのです...

三国志の英雄の一人、呂布が好かれる理由って何だと思いますか?私は多分なのですが、分かりやすい、三国志最強の猛将で強すぎる、ワイルドな生き方、
賢く無くて不器用だが優柔不断で人間臭くて見ていて面白い、割りと女性に一途、一匹狼だが運と武力で一人で成り上がる的な感じが、曹操、劉備、孫権とは違った感じがしますね。皆さんはどう思いますか?







その強さとあとは人間臭さでしょうかね。家族や女性に優しいし話も聞く。確かに部下からしてみれば面白くないでしょうけど、家族にしてみれば言う事にちゃんと耳を傾けてくれる優しい夫・父親ですしね。家族を見捨てて逃亡した挙げ句、「お前のせいで趙雲が死ぬところだったじゃないか!」と息子に責任転嫁させて地面に放り投げた劉備とは大違いです。








こんにちわ。

他の方も言われているように三国志の英雄の中で特に「人間臭い」ところに親近感がわくのではないでしょうか。

目先の利ばかり追うところや事あるごとに裏切り、他の英雄のような強い意志がない、しかし戦をやらせれば滅法強い。そのギャップにやられてしまいます(´∀`)笑









やっぱ強いからでしょうねww







三国志の登場人物の多くはかなり出来てる人たちですが呂布は武力こそ突出していますが

凡人的なところがいいですね。 人の汚いところや素直なところが見てとれます。

「三国志大戦3」について質問です カードの選び方についてお聞きします…

「三国志大戦3」について質問です



カードの選び方についてお聞きします…

三国志大戦には、沢山のカードがあります

プレイするたびに増えるのですが、呉を使う私は沢山、コモン~スーパーレアまで持っています



カードが多すぎて、デッキを組むのに困ります

何万通りものデッキになるのでしょうが、頭で考えても、同じようなカードがあって迷います



以下、似ているコンビ



例:シュウタイ、リュウサン

ゴコクタイ、チョウショウ

シュカン、シュウユ

ハンショウ、浄化の人

ジョセイ、タイシジ

ショウコ、シュチ





兵種や特技でも決め手が変わると思いますが、数あるカードの中から、コスト8でおさめる選び方が難しいです…







まず、何が質問かわからないのですが、結論から言うと上記に挙げているカードにほぼ類似点はありません。



Ver2までのカードと3のカードでは属性ボーナスなどの点があるのでまったく別物と考えるべきです。



周泰・留賛は槍と弓というまったく別の運用をしなくてはいけません。

計略は若干似通っていますが、周泰のほうには移動速度減の効果は無いです。



呉国太と張昭では明らかに張昭上位です。

計略が同じでも、魅力持ちというだけ、しかも張昭に比べて武力-1、知力-3、かつ武力1の分際で一騎打ち発生と呉国太を選択する必要はほぼありません。



朱桓・周瑜はコスト・特技・兵種・能力がまったく違います。従って運用もまったく違ってきます。

朱桓は呉に少ない知力が高く伏兵の踏める騎馬として、また中・終盤は相手の脳筋武将に対する圧倒的な威圧感を示せます。

周瑜はコストの割りに武力が低いですが、高知力火計の威圧感は朱桓を超えます。しかし、こいつがいれば軍師周瑜が確実にいないことを相手に教えることにもなりますが。



徐盛・太史慈は共に援護兵召喚ですが、援護兵の性質がまったく異なります。

徐盛の場合英傑号令で押すデッキと相性がよく、太史慈は単体で強い援護兵なので普通に使えます、もちろん号令に入れても強いですが。



潘璋・張紘では全く運用が異なります。

結論から言えば戦器を失い、強化戦法でしかない潘璋は張紘の足元にも及びません。

伏兵としての威圧感も張紘ほうが圧倒的です。



小虎・朱治は計略は同じでも、武力・知力に差があるので、普段の運用・計略の回復効果が全く異なります。





実際のところデッキ構築の基本は、

号令持ち、高武力*2、計略要員、残りコスト適当で組めばいいですよ。



自分が使っているのは、

R孫権、R太史慈、U凌統、C朱桓、U張紘

S呂蒙、R太史慈、C朱桓、U諸葛瑾 U張紘

S陸遜、R孫権、S甘寧、U張紘、旧R張悌

軍師は陸遜か周瑜。



参考にしていただければ。

三国志大戦3で価値が上がりそうなカードは?

三国志大戦3で価値が上がりそうなカードは?

三国志大戦2での排出停止のカードがかなりありますが、



この中で価値が上がりそうなカードってどれでしょうか?



個人的には、ランペイジ・小虎・大虎・ビ夫人・黄忠くらいだと思うんですけど・・。

(排出期間が1年もないですし)







後はSR孫権、SR・LE姜維、LE趙雲、LE馬超あたりも上がる可能性はあります。



もともとランペイジ・麋夫人は単に絵柄だけで持っていたカードですので上がりこそすれ下がる要素はありません。








ランペイジ以外の上位LEも高値になるんじゃないかな? LE曹操とか。

三国志の歴史を簡単に教えてください

三国志の歴史を簡単に教えてください

どのように三国志時代が始まりどうなって終わりを迎えたのですか?



その間の有名な戦なども教えてほしいです



ご回答よろです







大まかに説明するとですね



・中国の漢王朝が弱り始めた



・そこに張角という宗教団体の長が黄巾賊を引き連れてデモを起こす



・そのデモを止めるために中国全土から武将が集まり討滅軍が結成



・黄巾賊討滅後は討滅軍は解体



・その後董卓という人物が政治の実権を握り暴虐に限りを尽くす



・袁紹が筆頭の反董卓連合軍が結成



・董卓は戦に敗北して都を捨て、撤退



・その後義理の息子の呂布と仲が悪くなる



・ちょっとしたけんかでカッとなり呂布が董卓を殺害



・こうして群雄割拠の時代が始まる



・結果、劉備が蜀、孫権が呉、曹操が魏を手に入れ三国鼎立



・しばらく三つ巴の争いが続くが劉備の義弟、関羽が呉と魏に殺された



・これに激怒した劉備は呉への進軍を決意



・戦の準備のとき劉備の義弟、張飛が部下の裏切りで殺された



・こうして劉備は呉に攻撃をしたものの敗北



・撤退の最中に劉備は白帝城にて病死、劉備の息子の劉禅が蜀の後継者となる



・曹操も後に病死、そして魏では後継者争いが起きる



・そこに魏の軍師、司馬懿がクーデターを起こす



・そして魏の実権を握る



・魏は蜀へ進軍、蜀の皇帝・劉禅はあっさり降服



・そして蜀が滅亡、三国の一角が崩壊



・魏の司馬一族の司馬炎という人が魏を滅ぼし晋を建てる



・魏が滅亡する



・このころ呉では内乱が起こっていた、そこに晋が攻めてくる



・呉は抵抗を試みたもののあえなく敗北

(豆知識・呉を倒すことが竹を割るように簡単だったことから破竹の勢いということわざが生まれた)



・呉が滅亡



・こうして三国がすべて滅亡し、晋が一時的に天下統一を果たす



・三国時代はこうして幕を閉じた



こんな感じですかね。いくら短く書こうとしてもこれくらいの長さになってしまうんです。

後、有名な戦は



・黄巾の乱・・・張角が宗教団体を引き連れておこしたデモ



・虎牢関の戦い・・・反董卓連合軍VS董卓軍の戦い。呂布の武名が一気に広がった戦。呂布は劉備三兄弟を

一人で相手にし互角で戦った



・赤壁の戦い・・・曹操軍・80万(40万とも言われる)VS劉・孫連合軍5万の陣営で戦った戦。

三国志一番のやまば。三国志を語るなら是非知っておきたい戦い。映画・レッドクリフの舞台でもある



・官渡の戦い・・・曹操軍VS袁紹軍の戦い。これも知っておきたい戦のひとつ。天下分け目の決戦とも言われる。

戦国時代で言う関ヶ原の戦いと考えればわかりやすいかも



・夷陸の戦い・・・劉備軍VS孫権軍の戦い。これは劉備が義弟の関羽を呉の謀略で殺害されたことに激怒した

劉備が呉に進軍したから起きた戦い。張飛も殺されたということもあり劉備軍の士気は高かったがろくな準備もせずに

起こした戦いだったから劉備軍は敗北する



・五丈原の戦い・・・これは劉備軍(劉備はこのとき既に死んでいる)VS曹操軍(曹操も死んでいる)の戦い。

これは諸葛亮と司馬懿の謀略戦が有名。この戦で諸葛亮は蜀の皇帝・劉禅に出師の表を出した。

そして諸葛亮はこの戦で死亡するものの死んだ跡にも策を残していた。その策とは自分にそっくりな木彫りの像を彫らせて

それを敵にシルエットで見せるというもの。司馬懿は諸葛亮が死んだと思い総攻撃を仕掛けたがその木彫りの像を見た

司馬懿は慌てて軍を撤退させたという。このことを

「死せる孔明 生ける仲達を走らす」

このようにあらわすことが多い



以上ですね。長々と書いてしまいすみません。








「三国志の歴史を簡単に教えてください」

かなり難しいですよ。

ですから相当大雑把に説明しますからご了承を。



初め「後漢」という国がありました。

しかし政治が腐敗しそれをみた張角と言う人物が反乱を起こしました。(黄巾の乱)

しかし「後漢」にはそれをとめるすべがありません。

そして群雄割拠の戦乱の時代の幕開けです。

初めに権力を握ったのが董卓です。

しかし暴君であったため全国の勢力から嫌われその後家臣に殺されました。

その後勢力を強めたのが北方の雄「袁紹」と皇帝を操る「曹操」でした。

その後曹操が袁紹を倒し(官渡の戦い)曹操が天下一の実力者となります。

そして天下統一の野望に燃える曹操は南方の劉備と孫権を狙います。

しかし同盟した劉備と孫権に大敗します(赤壁の戦い)。

その後勢いを取り戻した曹操でしたが病死し息子曹丕が跡を継ぎました。

この曹丕が「後漢」の皇帝を脅して退位させ自らが即位し「魏」が誕生しました。

それに反発した劉備が「蜀」を孫権が「呉」を建国し三国時代が始まります。

「蜀」は劉備の死後諸葛亮の導きで何度も魏へ侵攻します。(諸葛亮の北伐)

しかし目的を達成できぬまま諸葛亮は病死しました。(五丈原の戦い)

その後一番有力であった「魏」でしたが家臣である司馬懿がクーデターを起こします。そして「魏」は司馬懿に乗っ取られ新しく「西晋」となりました。

その後圧倒的な力を持つ「西晋」により初めに「蜀」がその後「呉」が滅ぼされました。約100年続いた戦乱の時代が終わりました。

三国志はネコでも知ってる教養の一つですが、劉備・孫権・曹操の英雄の中で誰が一...

三国志はネコでも知ってる教養の一つですが、劉備・孫権・曹操の英雄の中で誰が一番好色だったんですか??







推察と考察を踏まえて・・・・・



劉備の後宮3人ほど・・・・後宮とはいえない^^;



孫権の後宮100人ほど・・・・納得、納得



曹操の後宮・・・・ちょいと分からないが彼の場合つまみ食いが多い、



(いい女は片っ端から、彼の奥さんは下賎な人が多いですね、人妻にも手を出すします!)



子供も多いから相当数いたのでは・・・・・



結論!司馬炎の後宮10000人!



ハーレム、マンセー・・・・・司馬炎マンセー!



後に国が傾く一因となる。








ウチの猫にきいたら、読んだかぎりではやっぱ曹操ではニャかろうかって。







英雄色を好むと言いますからね。

実際どうかは知りませんが、曹操じゃないかと思います。







たしか村西とおるだったと思います ・・・・・・・・・・・・・・・・・・







全員

どすけべえ

だった

当時は

嫁を煮て客にだすというような

恐ろしい時代だった

嫁は衣服のようなものだと、

書いてある

男尊女卑がひどかった







たしか、曹操だったと思います。



・ ・・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・・ ・ ・







人間様ですが・・・・・・・知りません!!!!!!!!!!!!!!プンプン!!

三国志教えてください。

三国志教えてください。

無双OROCHIZを始めましたが三国志というものが全くわかりません。

簡単に教えていただけませんか?実話ですか?



あと「ちょううんしりゅう」が「ちょうしりゅう」と呼ばれたりしてますが

三国志の登場人物の名前はどういう仕組みになっているんでしょうか?







三国志というのは、今から約千八百年前に陳寿によって書かれた歴史書「三国志」の記述および、それを基に、明代に羅貫中が小説化した「三国演義」等の、一種の時代物作品の総称です。



この三国志の舞台は千八百年前の中国、その時の王朝・漢(正確には後漢)の時代の末期です。

184年に起こった大規模宗教反乱「黄巾の乱」を皮切りに巻き起こる乱世、そして、曹操、孫権、劉備による魏・呉・蜀という三つの国が中国大陸に興り、それが晋という国に統一されるまでを指します。



「三国演義」では、その中でも蜀の皇帝・劉備を主人公として関羽、張飛、趙雲という豪傑や諸葛亮などの軍師と共に乱世を戦う姿を描いています。

これは俗に七割史実、三割虚構と言われており、つまり実話を基にしたお話です。



無双OROCHIZ にしても、他の三国志関連の物語にしても大概は「三国演義」に基づいています。

書店に行けば解説書などが数多く売られていますのでそれを参考にしてはいかがでしょう。



名前の仕組みについてですが、中国の名前の決まりとして、名と字(あざな)というものがあります。



まず日本と同じように名字があります。「ちょううんしりゅう」のばあいですと、「ちょう」がそれですね。で、名。これは生まれたときに付けられる名前です。つまり「うん」の事です。

そして字(あざな)があります。これは日本で言う元服、つまりは成人になったときに付けられ、日常生活では名ではなく、字で呼ばれます。これが「しりゅう」にあたることばなのです。



中国では名を呼ばれることを嫌う風習があり、名を呼べるのは主君か親ぐらいのもなのです。ですから、人前で名乗る場合なども「ちょうしりゅう」となるわけです。また、字についても、目上か、親しい同僚ぐらいしか呼べず、目下の者は役職などで呼ぶのです。「ちょううん」の場合ですと「ちょう将軍」といった感じですね。



長々と書きましたが、お役に立てれば幸いです。








超初心者にもわかる三国志。



昔、昔、中国は漢王室という王族が取り仕切ってました。



が、その王室の力が弱まり、中国の名だたる武将たちが「よっしゃ、俺が天下をとってやる」と立ち上がりました。



まあ、日本で言うところの戦国時代です。



色々あってその戦いに勝ち残ったのが、蜀という国の劉備、魏という国の曹操、呉という国の孫権。その三国(だから三国志)。



三国志は主に、劉備、曹操、孫権の出世の様子と国をめぐった攻防を描いております。



日本であえて言うならば、豊臣 秀吉、徳川 家康、織田 信長の歴史ってとこでしょうか?(ちょっと、違うか)







横山光輝による漫画版が有名で文庫化もされてますし適当に読んで理解してください。







ええ、実話です。

これは、歴史的に言いますと、三国志とは、中国でのことです。

ちょうど、日本の卑弥呼のいた時と大体同じ年号です。

このころの中国には、魏、呉、蜀の三国がとても大きな勢力を

持ちお互い対立していました。

魏では、曹操孟徳、

呉では、孫堅文台

蜀では、劉備元徳が中心で活躍しました。

登場人物の名前は大体が字「あざな」です。「苗字みたいなもの」

孟徳や元徳などの名前が日本でいう、名前です。

もっと、内容を詳しく知りたいのなら、図書館に行ってみてはどうでしょうか?

それから、映画の「レッドクリフ」とかでも十分知ることが出来ます。

「こっちの方がおすすめ」







三国志は紀元2世紀後半~3世紀までの、後漢が滅び晋が全土を統一するまでの歴史です。



曹操の魏、孫権の呉、劉備の蜀の三国に分かれたことから三国志といいます。



当時、漢王朝は腐敗しており、これに対し立ち上がった清流派の名士が迫害される事件が起きます。「党錮の禁」です。後に三国を倒し晋を建国した司馬炎は司馬懿の孫で、司馬懿も名士の一族でした。



184年、張角が率いる大規模な農民反乱が起きます。彼らの黄色い頭巾からこの反乱は「黄巾の乱」と呼ばれました。この反乱を鎮圧するための官軍の中に曹操、孫権の父孫堅、劉備、劉備に従う関羽、張飛のらの姿がありました。ほどなく張角は病死します。



混乱に乗じて朝廷の権力を握ったのが董卓でした。董卓は歴代皇帝の墓を暴いたり、勝手に都を移したりとやりたい放題でしたが、192年、腹心の呂布に殺されます。しかし呂布も董卓の残党に敗れて都を追われます。



その後、中国は戦国時代に突入し、袁紹、袁術兄弟が天下を争う状況になります。袁紹配下の曹操は呂布を討つなど力をつけ、袁紹との対立が決定的になります。一方、袁術から兵を借り受けた孫堅の息子孫策も勢力を伸ばしていました。



199年、住民に重税を科し、自分は皇帝を自称するなどの暴挙で民心を失った袁術は病死します。



200年、袁紹と曹操の決戦が始まります。劣勢だった曹操が、優柔不断な袁紹の隙を突いて打ち破りました。「官渡の戦い」です。



208年、劉表の荊州に逃れていた劉備は「三顧の礼」で諸葛亮を迎えます。諸葛亮が劉備に説いたのが「天下三分の計」でした。天下三分の計とは天下を曹操、孫権、劉備の三国に分け、最も強い曹操を孫権とともに倒し、その後に孫権を倒して天下を平定するという策です。



同年、劉表が病死すると荊州は曹操に降伏し、劉備は孫策の弟孫権を頼って落ち伸びます。



さらに曹操は孫権に降伏するように迫りますが、周瑜が指揮する孫権、劉備連合軍は水上で曹操軍を襲撃し、これを退けます。「赤壁の戦い」です。その後、劉備は荊州と益州を攻略し、天下は三国鼎立(ていりつ=三本脚の器のように並び立つこと)の情勢になります。



216年、曹操は魏王になります。



219年、劉備は漢中も攻略し、「漢中王」を称します。しかし荊州の関羽が孫権の攻撃を受け、斬られます。翌年に曹操も病死し、曹丕が跡を継ぎます。曹丕は禅譲(ぜんじょう)を受け、皇帝に即位。魏を建国します。ここに漢王朝は滅亡しました。221年、劉備は漢王朝を復興させるとして皇帝に即位。この王朝は蜀漢ないし蜀と呼ばれます。



禅譲とは血縁ではなく徳のあるものに皇帝がその地位を譲るというもので、実際は力で奪い取ることがほとんどでした。



222年、復讐に燃える劉備は大軍を動員し、孫権軍をさんざんに打ち破ります。しかし孫権軍の陸遜は劉備軍が長い列になっていた隙を見逃さず、火計で劉備軍を壊滅させました。「夷陵の戦い」です。劉備は敗戦のショックで翌年に死亡します。



その後も三国による戦いは続きます。227年、蜀の諸葛亮は「出師の表」を奉り、北伐を開始。魏の司馬懿と激戦を繰り広げましたが、234年、五丈原で陣没します。司馬懿が用心して蜀軍を追撃しなかったため、「死せる孔明、生ける仲達を走らす」という言葉が生まれました。



229年には孫権が皇帝に即位、呉を建国します。孫権は252年に死去しますが、晩年は後継者問題をこじらせ、245年には功臣の陸遜を憤死させる事態になります。



263年、蜀の劉禅が魏に降伏し、滅亡します。265年、司馬炎が魏の曹奐に禅譲を行わせ、晋を建国。そして280年、呉の孫晧が晋に降伏、天下は晋によって統一され、三国時代は幕を閉じます。



趙雲でしたら趙が姓、雲が名、子竜が字(あざな)です。字とは本名の他につける呼び名のことです。



昔は名前には霊的な力があると信じられていたため、名を呼ぶことを避けていました。名は諱(いみな)ともいい、諱は忌み名に通じます。



しかし当時の字の使い方にまだ定説はなく、馬超が劉備の傘下に入ったとき「おう、玄徳」と字で読んだため関羽と張飛は内心馬超を殺そうと考え、馬超もそれを察して名で呼ぶようになったという話が伝わっています。これはフィクションですが、名と字には複雑な使い分けがあったのは確かです。



ちなみに名が一字、字がニ字というのは当時の流行で、時代によって違います。



昔の人は多くの名前を持っており、成人するとつける字の他に子供のころの呼び名の幼名というのもあって、曹操の幼名の阿瞞が有名です。