2012年3月20日火曜日

三国志の時代に卑弥呼みたいに東洋人が登場しますが、金髪の西洋人が登場した記録...

三国志の時代に卑弥呼みたいに東洋人が登場しますが、金髪の西洋人が登場した記録残ったりしているのですか?







鮮卑人など胡族にはアーリヤ系のもいますからね(白羯人 白匈奴など)大月氏や小月氏も白人系です

また漢とローマの中継をして繁栄した安息人(パルティア人)も金髪碧眼の人種ですからね またパルティア人は弓術や馬術に優れていたみたいです



記録を探せばあるかもしれません

五胡十六国時代に冉閔が殺胡令をだし慕容恪に敗死するまで漢人以外のそれらの人種を殺戮して回っていました



ちなみに晋書の巻6 帝紀第6に『又敦正晝寢,夢日環其城,驚起曰:「此必黃鬚鮮卑奴來也。」帝母荀氏,燕代人,帝狀類外氏,鬚黃,敦故謂帝云』とあるように

東晋の司馬紹(明帝)の母である荀氏は鮮卑系の顔立ちをしており黄髭をしているようです

因みに鮮卑奴というのは蔑称で鮮卑野郎というかアメリカに置けるイエローモンキーやジャップのようなものです



確か正史の陸遜伝のあった沙摩柯は胡王と記載があったはずですが彼は演義中の記載では碧眼でした

胡族には上に挙げたように白人系の人種もあるので可能性は捨て切れません



あとはこれはどうだか分かりませんが孫権 彼は呉主伝の注にある獻帝春秋に『向有紫髯將軍,長上短下,便馬善射,是誰?」

向こうにいた紫髯の背が高く足の短い馬上で弓を上手く扱ってる将軍がいるがあれは誰だ?



という記載がありますが彼はどうなんでしょうね… 孫権に関してはちょっと断定できないです








今中国で弾圧を受けているウイグル地区は白人系なので、北方騎馬民族として金髪碧眼の民族が登場する可能性はあります。







たぶん、無いです。少なくとも正史の記述で見たことはありません。中国が三国時代で混乱していたように、確かこの頃のローマも軍人皇帝時代とかで混乱してたような。世界史で習った範囲しか知りませんが。互いに交流してる余裕なんてなかったんではないでしょうか。

ただ、明帝紀に大月氏から朝貢の使者が来たって記述があることから、金髪とは言わずとも中華系以外のアジア人はいたんでしょうね。例えば馬騰は「目も鼻も立派」なんて書かれてるし、どうも混血の感じがします。







金髪かどうかはわかりませんが…



後漢・安帝紀

永寧元年(120)に南方の撣国王(インド国内の一国)雍由調が遣わした貢物の使者は、自ら海西人(ローマ人)と称する幻人(マジシャン)を伴っていた。



だそうです。



自称なので…怪しいですが…(^-^;)

参考になれば幸いです。

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