三国志詳しい方教えて下さいm(__)m
僕はあんまり三国志は知らなくて最近ちょっと興味出てきて漫画でも買ってみようかと思ってるんですが、
その前に三国志占いをいくつかやってみました★
結果ほとんどが「ソンケン」で二つくらいが「ウキン」でした。
イメージ的には「コウメイ」とかがよさそうなんですが…f^_^;
僕の占いの二人はどんな人ですか?
いい人ですか?
ちなみに占いの文は当たってるようでした(^^ゞ
その占いで当て嵌まるとされた武将の人生と、
質問者さんの人生が重なっているという結果だとしたら、
チョッと微妙な話になりますが、
「ソンケン」とでたなら、「呉」の孫氏の人間です。
【孫堅】
155年~191年
中国後漢末期の武将。字(あざな)は文台。呉郡富春県の人。
三国時代に成立した呉の皇帝、孫権の父。
廟号は始祖。諡は武烈皇帝。家系は孫氏。
孫武〈孫子)の子孫と自称していますが、真意は不明です。
三国演義の初期、反董卓軍17陳の一人として登場し、
その当時は曹操より格上の武将です。
洛陽の古井戸から伝国璽を見つけたのは彼ということになっています。
37歳で、伏兵の罠にかかり、矢を射かけられ、
落石に押し潰されて死亡しました。
〈正史では、単独行動中に
黄祖配下の兵士によって射殺されると記されています。)
正史での評判は、
行動が軽はずみで、
結果を出す事を急ぐあまりに性急であった、ともいわれますが、
同時代、義をもって立った人々の中で、最も忠烈の志があったとも、
忠義と勇壮さを備えた烈士であるとも評されていますので、
一流の武将です。
【孫権】
182年~252年
呉を建国し初代皇帝に即位しました。字は仲謀。上の孫堅の次男です。
三国志の君主の中で最も長命でした。
なお、よく並べられる曹操、劉備とはおよそ一世代年下です。
背は高く、胴長短足で、角張った「あご」と大きな口に
紫髯(赤ひげだとされる)の持ち主だったと云われます。
『三国演義』では碧眼(蒼い目)を持つとも描かれ、「碧眼児」と呼ばれます。
父孫堅、兄の小覇王とも言われた孫策を相次いで亡くし、
心構えが出来ないうちに呉の盟主となり、少し頼りないですが、
優秀な家臣に恵まれて、そつのない治世でした。
しかし、晩年は、後継者としていた孫登が241年に33歳で早世してから、
徐々にその治世には陰りが見え始めます。
側近で佞臣とされる呂壱を重用する一方で、
後継者問題で太子を擁護した名将陸遜を憤死させたり、
王表という神を信じて福を求めたりするなど老害が目立ちました。
正史三国志の著者の陳寿は、
「身を屈して、恥を忍び、計を重んじ、勾践の奇英あり 人の傑なり」
と褒める一方、
「性格は人を忌み嫌うことが多く、刑罰によって人を殺すのに果敢であった」
と批判しています。
もうひとり「ウキン」は、魏曹操配下の武将です。
【干禁(うきん)】
生年不明~221年
中国、後漢末から三国時代の魏の武将。字は文則(ぶんそく)。
兗州泰山郡鉅平県の人。
于禁は張遼・楽進・張郃・徐晃とともに名将とうたわれており、
曹操が征伐に出るたび、皆代わる代わる、進攻のときは先鋒となり、
撤退のときは殿軍となった武将です。
人柄は剛毅で威厳があり清廉でしたが、法律を重視して部下を統率したため、
あまり兵士・民衆の人望を得る事ができませんでした。
いい意味でも悪い意味でも人々から一目置かれていた存在だったみたいです。
219年、関羽との襄陽戦で于禁は龐徳と共に、
奮戦しますが、最後はなす術もなく捕らえられてしまいます。
龐徳は曹操への忠義を貫いて打ち首となりますが、
于禁は関羽に降服して助命されました。
曹操は悲しみと嘆息を込めて
「わしが于禁を知ってから30年になる。
危機を前にし困難に遭って、龐徳に及ばなかったとは思いもよらなかった」
と言ったといいます。
その後、関羽死後221年に呉より魏に送り返されます。
魏皇帝の曹丕は于禁を表向き慰め、安遠将軍に任命。
呉への使者に任命するとして、高陵(曹操の墓)を参拝させます。
曹丕はあらかじめ、関羽が戦いに勝ち、
龐徳が憤怒して降服を拒み、于禁が降服したありさまを絵に描かせておきます。
于禁はこれを見ると、面目なさと腹立ちのため病に倒れ、死去したとされます。
諡は厲侯。厲は災いを意味します。于禁は死後までも嘲られたのです。
(曹丕の底意地の悪さを示すエピソードとして有名です。)
まあ、あまりお気になさらないように・・・。
私も駆け出しの者ですが「ウキン」は知りませんが、
「ソンケン」は知ってますよ!
たしか二人いて「孫堅」と「孫権」ですよね。
そして「孫堅」が父親でその息子が「孫権」だったと思います。
どちらも稀代の名将です。
私でも知っている武将ですから。
すごいじゃないですか。
ソンケンと言われても同じ読みの人が二人いるので両方簡単に説明します
まず孫堅さんの方を説明しますこの人は正史では呂布と一騎打ちして打ち破たりして戦争に関しては三国志の中でもかなりの名将ですが戦争で流れ矢があたり早死にしてしまいますですがもっと長生きをすれば三国志の歴史が大きく変わったと自分ではそうおもっています
次にその孫堅さんの子供孫権さんですこの人は孫堅さんの長男孫策がまた早死にしていしまいその後をつぎますが戦争は自分の部下にまかせたりして戦争はそんなに上手でないですが拡張する領土をかなり上手く治めたりして政治は上手でしかも71歳と長生きします
うきんというひとは最後しか知りませんが関羽に捕らえられ元の当主の元に戻りますが一緒に戦っていたほうとうという武将が潔く打ち首にされている横でひざまずいて必死に降伏を申し出る自分の絵を見て自殺します
「ソンケン」は漢字が分からないので(対象になる武将が複数います)なんとも言えませんが、「ウキン」は「そこそこ名将だがいまいち人気がない」人物です。
かなりメジャーな人物で「ソンケン」は三人はいます。ほかのお二人が答えてみえるように「孫権」「孫堅」この二人より知名度は落ちますが「孫乾」・・・于禁がいるくらいですから孫乾の可能性もあると思いますよ・・・
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