三国志の原本は?
三国志や三国志演義の原本は、もう残っていないんでしょうか。
陳寿が記したとされる「正史」の源本は存在しておりません。
「三国志」が最初に刊行されたのは、
北宋咸平五年(1002)のことで、これも現存しません。
今日現存する最古の版本は「紹興本」と呼ばれるもので、
宋の南遷直後・紹興年間(1131~1162)のものと言われています。
それに続いて「紹煕本」というものが刊行され、
これが最もよく目にすることのできる、
「三国志」の版本だということができるといわれます。
紹煕年間は1190~1194に刊行されたものです。
北宋第三代真宗の咸平五年(1002)に、
「三国志」は初めて刊行されることとなりましたが、
「咸平本」というものが実は、
日本の「静嘉堂文庫」に蔵されているとされます。「呉志」のみだそうですが・・。
その巻首に、咸平六年十月二十九日の、
中書門下の「牒」がつけられていることからもわかります。
(咸平六年は1003年であり、実際の刊行はその年になったと推測されています)。
しかし、残念なことに、
「咸平本呉志」も南宋代の版本を元に作られたもので複製らしいです。
北宋代の版本が、毎半葉十行、行十九字であるのと違い、
毎半葉十四行、行二十三字と相違します。
それでも、
この「咸平本」が「紹興本」に先んずることには違いがなく、
最古であることは確かなようです。「魏志」「蜀志」が無いのが本当に残念ですね。
二十世紀前半、張元済が「百衲本二十四史」を編纂する折り、
「三国志」のテキストとして、
日本の帝室図書寮蔵(こんにちの宮内庁書陵部)
「北宋紹煕刊本」を用いたと明記しています。
ただし、巻一~巻三は欠けていたので、「紹興本」を用いたとされます。
最古の版本「紹興本」刊行から約900年。
残存する「紹煕本」「紹興本」はそれぞれ数種を数えるのみです。
本場中国の張元済が百衲本を編纂するとき、「三国志」のテキストとして、
時の日本帝室図書寮蔵のものを使わざるを得なかったことからも、
書籍のいかに滅びやすかったかがわかります。
だらだら書いてしまいましたが、まとめると、
「咸平本」・・・
北宋咸平五年(あるいは六年=1002 or 1003)、
初めて刊行された「三国志」版本。
「呉志」のみが「静嘉堂文庫」に残っているとされますが、
これも南宋初期の覆刻本。ただし、「咸平本」の面目を保っていると考えられます。
「紹興本」・・・
南宋紹興年間(1131~1162)、
刊行された、まとまったものとしては現存最古の「三国志」刊本。
中国国内に4点?6点?在
「紹煕本」・・・
南宋紹煕年間(1190~1194)の刊行とされますが、
それには根拠が無く、南宋中期のものだろうともいわれます。
こんにち最もよく知られる「百衲本三国志」も、
巻一~三を除いて、この「紹煕本」を影印しています。
その一つに宮内庁書陵部蔵のものも含まれます。
ついでに、
静嘉堂文庫は、
三菱財閥の二代目・岩崎弥之助(1851-1908)が収集した、
日本や中国の貴重な古典籍を保存し、 研究者に公開することを目的として、
弥之助の嫡男で、 四代目の岩崎小弥太( 1879-1945)によって建てられました。
東京都世田谷区岡本2-23-1
岡本静嘉堂緑地内にあります。
ちなみに、
先の回答者さんも仰っておられますが、
20世紀に西域で晋代ないし唐代に写されたと思われる竹簡(?)が、
複数出土しています。
1)1909年、吐魯番吐峪溝出土「三国志」巻六五(呉書二〇)
韋曜伝・華覈(かかく)伝残卷/唐代の写本か?/25行/書道博物館蔵
2)1924年(?)吐魯番出土「三国志」巻五七(呉書一二)
虞翻伝残卷/晋写本か?/10行/書道博物館蔵
3)1924年(?)吐魯番出土「三国志」巻五七(呉書一二)
虞翻伝・陸績伝・張温伝残卷/晋写本か?/80行/上野淳一氏蔵
4)1965年1月10日吐魯番英沙古城南仏塔遺跡出土
「三国志」巻四七(呉書二)呉主(孫権)伝残卷/晋写本か?/
40行/新彊吾爾自治区博物館蔵
5)1965年1月10日吐魯番英沙古城南仏塔遺跡出土
「三国志」巻七(魏書七)臧洪伝残卷/晋写本か?/
21行/新彊吾爾自治区博物館蔵
6)1931年前後敦煌某寺発見「三国志」巻五二(呉書七)
歩隲(ほしつ)伝残卷/晋写本か?/25行/敦煌研究院蔵
三国志の現存最古のものは12世紀ごろに刊行されたものだそうです。
ただし、新疆ウイグル自治区トルファンと敦煌で、晋代の写本の一部が発見されたそうです。
また三国志演義の現存するものは明代の明の嘉靖元年(「嘉靖本」。1522年)のものだそうです。
wikiより抜粋。
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