三国志で三国統一されたというのは何を持って統一というのでしょうか?
調印文書でもあったのですか?
三国創立者の死後どれくらいたってからのことなのでしょうか?
まあ単純に言えば皇帝が一人だけになった時ですね。
王朝がひとつだけになった時、と言い換えてもいいでしょう。
三國時代を皇帝で見るとこうなります。
曹丕(魏建国、220年)
↓
曹丕、劉備(蜀漢建国、221年)
↓
曹叡、劉禅、孫権(呉建国&三國鼎立、229年)
↓
(中略)
↓
曹奐、劉禅、孫休(260年)
↓
曹奐、孫休(蜀漢滅亡、263年)
↓
曹奐、孫晧(264年)
↓
司馬炎、孫晧(魏滅亡、265年)
↓
司馬炎(呉滅亡、280年)
司馬炎の晋のみが残り、呉の孫晧が降伏した時点をもって統一したと見なされます。
三國の創立者は
曹丕(187~226)
劉備(161~223)
孫権(182~252)
ですので、最後の孫権の死後28年で統一が完成しています。後漢が滅び魏が興ってからちょうど60年ですね。
俺様が皇帝だと宣言しそれに異議を申し立てるやつを皆殺しに出来た時。
ちなみに三国を統一したのは、魏でも呉でも蜀でもなく晋である。
初代皇帝は司馬炎。
司馬炎のおじいちゃんは「あっ、慌てるな。こっ、これは孔明の罠だ。」で有名な司馬懿こと仲達。
でも、本当は人材豊富な魏の中でもダントツで優秀であり宰相まで上り詰めた偉い人。
「あの仲達ってやろうマジでむかつくんですけど。一回、おもっきりあいつの額にでこピンしてやりてえ。」とぼやいている孔明の方が史実には近い。
司馬懿の兄弟も皆優秀だった。そして、司馬炎の父ちゃんであり、司馬懿の息子であった司馬昭も優秀だった。
気付いたら、あっちも司馬、こっちも司馬とそこら中、司馬だらけでもう、司馬の国にしか見えなくなり、最後は司馬炎が魏の皇帝から禅譲(聞こえはいいがやってる事は大人しく皇帝の権利をよこせってこと)を受け晋の皇帝になる。
即位は265年なので、後漢の分裂から100年。三国時代となってから60年後といったところだろう。
三国を統一した国ってどこですか。毎年、レッドクリフがテレビ放映されるたびにこの質問が出るのはなぜか。
それは晋が短命だったから。
皆の記憶に残ってないんだね。
司馬炎は統一するまでは英傑だったが、皇帝になるとすぐに女と酒におぼれ絵に描いたような堕落街道をまっしぐらで30年で国は滅んでしまう。
その後はもう、覚えたくなくなるほどたくさんの国が出来たり滅んだりと絶対にテストに出てこない時代が訪れる。
次に出てくるのは隋だがそれは晋建国から300年後のお話。
物語は「日出ずる処の天子、書を日没する処の天子に致す。」と東の果てのなめた使者の国書から始まる。
中華の皇帝が司馬炎一人になったときが統一でいいんじゃないでしょうか。
蜀も呉も降伏した後に戸籍の一覧みたいなのを提出したらしく、正史に降伏時の官吏数、兵士数、戸数と人口が明記されています。
呉がそうやって西晋に降伏したのが西暦280年。三国時代の開始は人それぞれ思うところが違うでしょうが、曹操が死んだのが220年、曹丕が帝位についたのが同年で、226年に死んでます。魏の滅亡が265年。
劉備が死んだのが223年、蜀が魏に降伏したのが263年。
呉は孫権が死んだのが252年。
だそうです。
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