2012年3月9日金曜日

三国志 呉について 二宮の変の結末 どうして後継ぎは孫亮じゃなければならなかった...

三国志 呉について

二宮の変の結末 どうして後継ぎは孫亮じゃなければならなかったのでしょうか?



三国志知識自慢、どなたでも!!







要するに「なぜ孫休(兄)ではなく孫亮(弟)なのか」って事ですよね?

それは孫魯班の後押しがあったからです。



孫権はなぜか魯班に大甘で、彼女の言うことを何でも聞いています。王夫人とその子の孫和を遠ざけて孫霸を寵愛したのも(つまり二宮の変)、孫亮に全家の娘(魯班の孫娘)を嫁がせたのも、孫亮を後継に指名したのも、全て魯班が裏で糸を引いています。

魯班は何もしなくても孫権の娘という事で地位や生活は安泰だったはずですが、孫霸にすり寄り孫亮に近付き、少しでも政権中枢に近付いて実権を保持しようと画策した痕跡が見て取れます。孫権の死後も孫峻に近付き、密通してまで権力にしがみついています。



それを考えると、耄碌して思考回路の鈍った孫権は、自らの権勢保持を図る魯班の言いなりだったんではないかと思えますね。








普通に呉書を読むなら、裴註の『通語』にあるように「国論を真っ二つに割った孫和と孫覇どちらを後継ぎとしても結局しこりが残るので、2人以外から選んだ」と考えるのが自然でしょうが…どう考えても両成敗は間違ってますね。孫覇が殺されるのは当然ですが、孫和は最初っから皇太子に立てられているうえに、孫覇と違い特にこれといった落ち度や性格的問題があったわけでもない。廃される理由がないです。まさにとばっちり。



孫登・孫慮は若くして死に、孫和・孫覇は共倒れ。結局残ったのが孫休・孫奮・孫亮。で、一番可愛がっていた10歳にも満たない孫亮を指名したと。完全に孫権の頭はイカれてますね。ただ、孫和伝の註には病が重くなったときに事の真相に気付き、孫和をもう一度皇太子に立てようとしたが、魯班らの反対にあって取り止めたことが書かれています。そして孫亮伝にも魯班が全家の娘と孫亮を結婚させて孫亮を後押ししていたことが書かれています。孫亮じゃなければならなかったというか、泥沼の政争の結果孫亮になってしまったという感じではないでしょうか。

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